結婚式、そして地震におもうこと

昨日は沖縄G0ユニットのMS君の結婚式でお昼からお酒を飲んでしまったのでブログはお休み。
彼はK大でのわたくしのところのDNA損傷修復の研究で学位をとり、その後1年間沖縄ユニットでポスドクをしてるが、とても面白い研究成果を挙げている。修士を終わって、一時会社に就職したが、すぐ辞めてしまった。しかし、ちゃっかりと生涯の伴侶を会社の同僚から見つけている。就職経験後の彼は仕事のしっぷりが格段によくなった。誰にでも当てはまるわけではないが、実社会の経験で目が覚めたのだろうか。
始めて所帯をもった地で結婚式を挙げるのは、それなりに本人達の決意も伝わるもの。新婦がしっかりしてるので(新郎もだが)、6月からの海外生活も大丈夫だろう。
天気は快晴だし、沖縄独特の青さの海をみながら、メルヘンチックな式場と、若い人はそれなりに自己主張を持ってるなと思った次第。
それにつけても、沖縄では、リゾートのほとんどのない太平洋側の海と結婚式のあった恩納などのリゾートとではどうしててこうも違って見えるのか。先入観に基づく錯覚か、それとも沖縄の東と西は海まで違って見える地勢的な理由があるのか。そういえば、本州の太平洋側と日本海側も朝日夕日の出入と海陸との関係が違うし、海の見え方が違う。誰かに納得のいく説明を聞きたい。
結婚式の間に福岡県を中心に大きな地震があったが、まったく知らなかった。マグニチュード7とか。夜、テレビで震源地に至近の玄界島の被害のひどさも見た。ほとんどの家が半壊以上。福岡県に住む多くの知りあいの人達を思い浮かべるが、死者は一人と言うことで、これほどの強い地震と倒壊家屋の多さにもかかわらず、不幸中の幸い。被害のあった家にはすでに赤い紙に危険とか既に危険度の判断が示されている。行政の対応の早さが感じられる。自衛隊員も沢山見えた。危機対応は見た目には早そうだった。この地震の後、携帯電話はつながらなかったとか。とすると、インターネットもほとんどは駄目だったのか。
科学者は仮説を立てるのが商売なので、やはり首都圏で同じような地震が起きたらとか、わたくしの住んでいる滋賀の湖西地域で同じ程度の地震が起きたらどうなのだろうとつい考えてしまう。首都圏にはわれわれ夫婦以外の家族がみな住んでおり私的にも心配だが、一日本人として、これほどまでに中央集権、集中化した東京が大地震に遭ったらどうなるのか本当に心配だ。
神戸の震災で要職の人達が惨めなくらいに無能であったことはあまりみなさん触れたがらないが事実なのでしょう。あまりにも多くの死ぬはずのない死者が出てしまい、悲しみが怒りをはるかに超えてしまったのだ。
大空襲や原爆の被害に遭った人達が、要職の人間を責める前に、悲しみの喪に服したのと同じような理由だ。沖縄島内での激しい戦火で多くの人達が亡くなった。死者達への追悼と悲しみがあまりに強いと、その様なことを引き起こした人達への責任追及が弱くなるのは日本だけの現象なのか。同じことを繰り返さないためにも、このことはよく考えておく必要がある。
わたくしは、最近あちこちでえらい人達(と信じられている)とお会いする機会があるが、正直言って、危機に強そうな人には滅多に会えない。「このような人達がトップで組織が持ってるのはほんとうに不思議だな」と思うことが昨今多い。神戸震災のようなことは二度と起きて欲しくない。地震時に危機にどこまで東京が機能するか、日本ばかりでなく、世界中が注視してるのだろう。
ともあれ、地震は本当に怖いし、瞬間的な判断が必要なので、誰でもその人の人生のすべての能力を凝集して対応せねばならない。要職の人間は危機対応のために雇われてることを、本人も周りも良く理解してなければならない。

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