時代の子

朝起きて外を見ると、雨模様。雨戸を開けると、庭のレンギョウが咲き出していた。小さい株だが、背景が竹垣なので、映える。
隣にある、カエデは、昨年だったか、植木職のひとに、この木肌は素晴らしいといわれてから、しげしげと見るようになったが、確かに美しい。晴れの日も曇った日も、特に雨の降った時になんともいえない魅力がでる。気がつかずに、25年も経っていたか。ものの美醜は誰かに言われて、始めて気がつくことがある。全体ではなく、局部での美が全体を決めているのか。
モナリザも「微笑」といわれて、始めて全体が見えてくる。人間の不可思議な感性。
狭い庭なので、スギゴケで木のあるところは全部地を覆ってしまった。それ以来、よく庭に出るようになった。スギゴケから出る精気を吸収したくなるような感じ。きょうはスギゴケのあいだに立っている、どの木も小雨の中で元気良さそうだった。
この時期は黄色の花をたくさん見る。庭とはいいがたい北小松の畑地では、マンサク、サンシュユは先週満開だった。敷地の端に植えた、レンギョウはまだ咲きそうにもなかったが、今日あたりどうだろうか。午後にでもでかけてみてみるか。
朝は洗濯、一週間分。部屋は目で見て、ゴミがあるように見えたら、掃除することにしている。
猫がよくなきすり寄ってくるので、水、食事を与え、トイレ掃除。老猫になったのか、最近水をよく取り、トイレの固まりも大きめ。腎臓機能の低下の可能性とか獣医さんは言ったそうだが、検査をしようとしたら大暴れしたので、検査はしなかったとは、妻の言。老猫のくせにときおり、信じられないようなスピードで走り、高い木にまたたく間に駆け上がり、あとで降りられなくて、泣き続けることもある。三毛猫。目の色とか、顔にあるごく小さな斑点から、シャム猫の血がすこし入っているのではないかと勝手に判断している。起きてから、家の中のことなどをして一休みする。こんな感じが主婦の感覚かなとおもう。
仕事を始める前に、日曜なので、すこしぼんやり考える。家には誰もいないので、考え事にはたいへんよろしい。
「時代の子」、そんな言葉がわたくしの頭のなかにある。
自分は時代に関係なく生きてきたつもりでも、実は完全に「時代の子」だったのではないか。わたくしは、心理学を勉強したことはないのだが、自己流の心理判断をよくする。他人も自分もその判断の対象とする。わりあいよく当たるような気がする。判断の基準は、おおざっぱに言えば、「いきがい」のようなものを知って、判断する。いきがいには深層と浅層があり、またひだというか複雑な房があるので、難しく考えればわけが分からない。そこを、おおざっぱに第一近似する。しかし、生きがいなど人はそう簡単にいってくれない。そこで、「骨相」から判断する。これはわたくしの周辺の人間は誰でも知ってるが、わたくしが人を煙に巻きたいときは、たいていは、骨相学の話をすることにしている。とりあえず、偏見と独断にもとづくような「骨相」から、その人の生きがいなりを知ろう、まあこれがわたくしの心理判断なのですが。

それで、時代の子ですが、わたくしはどうも10才になる前に、時代の子のインプリントをされてしまったようだ。インプリントとは印を押すというか、心に焼き付くとかそういう意味ですが、細胞生物学では、遺伝子発現の様式に最近よく使われるのです。よく、氏と素性といいますが、この素性に相当するような、遺伝子発現があって、いっぺん素性が決まればなかなか代わることはないというようなもの。ひと言で言えば、時代の子とは素性ですね。どんな時代をどんな環境で育ってきたのか、どんな人や自然が周りにいて、どんな影響を与えてきたのか。
この年になって、わたくしはだんだん自分の素性が、インプリントされたものが分かってきたような気がします。というか、この年齢になったので、始めて分かるようになってきたのかもしれません。
そろそろ仕事再開なので、今日はここまで。

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