偏差値学生とのつきあい その2

きょうは沖縄に来てます。那覇空港からのタクシー(他に公共的な交通がない)が沖縄南のインターから出たこともあり、運転手が道知らず、またわたくしも依然沖縄では土地不案内で新しい場所に来ると方角が分からなくなる傾向があるので、だいぶ遠回りとなった。目印のジャスコの紫色の大きな看板を非常に変な角度にて発見。一種の観光ツアー的状況。それからセンターに到着。技術補佐の候補のかたの面接もありましたが、他にいろいろ研究推進上の議論が山積。昨年の今頃はまだまったく何もなかったわけなので、たいへんな変化と進歩。

さて偏差値学生の続きです。
偏差値制度から生まれてくる学生さんは、頭の中が輪切りなのですね。偏差値輪切りというと、当事者は知ってるはずだし、分かってるはずです。しかもこれを全国規模でやられてしまうのだからひどいものです。輪切りが全国隅々まで行き渡ってるようです。こんなもの完全に結果を忘れてしまえたらいいのですが、そうはいきません。長い期間、引きずってしまうような人までいるようです。
研究者になるための修行が待ってるものにとっては、このようなランキングはまったく無意味だし、役に立ちません。それでも、K大やT大、H大などを始めとする旧帝大系は偏差値ランクの高い学生が集まります。しかし、残念ながら、前回わたくしが申しましたように、研究上の才能とはほとんど相関があるようにはみえません。少なくともわたくしには。
せいぜい制限酵素のマップをより精密に正確に作る能力に優れてるくらいです。わたくしの研究室では、K大出身者は多数派ですが、でも平均的に他大学出身者より、研究業績が上かどうかは必ずしも言えません。たとえば、国際基督教大学学部出身の院生を二人学位まで世話しましたが、院生時代の成果だけ見れば、平均的にはK大よりは成果は上でしょう。いま、信州大学繊維学部出身の院生がひとりいますが、K大出とどこになんの違いがあるのかわたくしには分かりません。たぶん、内面とか意識では異なるのかもしれませんが。研究能力には差がありるようにみえません。

偏差値意識を完全に心から除去というか、排除して影響されてないのなら、たいへんよろしい。でも、偏差値世代になってから、そんな影響されてない学生はほとんど会えなかったですね。もしもいたら、大いに見込みがあるというか、悲しいかなあたりまえなのですが、まともな人としてスタートできます。
輪切りから来る、優越感、劣等感、いずれも研究に対しては悪影響しかありません。どちらかといえば、劣等感のほうがましでしょう。上昇志向があるのかもしれませんから。でもゆがんだ上昇志向になりがちです。ただ、優越感があってなおかつなんの研究面での才能がなかったら、フィクションの世界の人間、つまりほんとにもぬけの殻人間となります。
ボトムラインで言えば、研究は好きというのが前提で、これは安全です。好きでやれるのなら、まあ保険がかかってます。でも、収入、つまりご飯を食べていく、算段は自分でちゃんとつける覚悟がいります。この一番簡単な常識中の常識が分かるのに、偏差値世代はやたらに時間がかかるのですね。
それで、学部生や院生にひと言。
あなたに才能があるのかないのかですが。
たいていはありません。
なぜなら、才能がある人を目指した選抜をほとんどしてませんから。
明々白々な事実です。
才能のある人はたぶんどこかにいるに違いありません。もちろん、可能性としてですが、あなたかもしれません。ただ、生命科学のように生涯学習的で、50代でもチャンスはあるし、わたくしのように60代でもまだチャンスを狙うこともできるのだから、好きなら努力すればいいじゃないですか。
それはさておき、どこかの大学で「才能発掘係」の適任者をみつけて、そのかた(達)に全国行脚(外国人も含めて)するようなことを始めませんかね。どこかで、「才能ある少年、少女あり」という、一報が来たら、わたくしも会いに行きたいです。
(この項、不定期につづく)

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