年寄りのくりごとですか

どうもすみません。
かなり、不快に感じたり、ひどくお怒りの意見が出てますね。感情を害するようなことがあれば失礼しました。
読み返してみて、自分では平素おもってることをたんに書いたまでなのですが、やはりこれではまずいのでしょうね。年寄りの愚論、と思ったかたもおられるようですね。昔から、そんな応酬がありますよね。わたくしは、制度の問題をこういうかたちで論じたつもりなのですが、よい効果はまったくなかったようですね。
ただ、最近このブログはわたくしの研究室のメンバーとのコミュニケーションに、かなりよく用いられてる感じになってきて、ついついわたくしの言動に免疫がある人間相手の文章になっていたのかもしれません。今後気をつけます。研究室内では、これはかなりの激励的な文章で通るはずなのですが。でも、すみませんでした。

才能とは何ですか?という質問がありました。才能の意味は辞書に書いてあるとおり、他の人にはなかなかできにくいようなことを達成、実現化する能力とでもいいましょうか。つまり達成能力ですか。英語ではタレントですね。わたくしのパソコン内にある辞書では、ギリシア語で貨幣単位の意味だそうです。タレントに応じてお金を払ったというのですね。
むかし、聞いた話では、船のマストの上で遠望する水兵さんは、応募者の中で、特別に遠目が聞くものを選抜したそうです。まれにとんでもなく遠くまでよく見える人がいるとか。そういうタレントは生まれつきかもしれませんね。走るのが早いとか、美しい声をしてるとか、生まれつきの能力はたくさんあります。でも一方で玉も磨かなければ光らない、努力が重要、こういう風になると、話が当たり前すぎて面白くありませんが。でも、才能は後天的な訓練で発揮されるというのが、当然の真理なのでしょう。わたくし流には「特異な達成能力」というものが、才能あるなあーということにしてます。
相撲の高見盛ですか、真面目に闘争心を燃やすと、周りが笑い出すのですから、思わず「才能あるなー」と言ってしまいます。わたくしにとっての才能はこういうタイプのものも含まれます。

研究上での才能とは何か、ひと言で言えるようなものでしたら、ことは簡単なのですが、そうではありません。非常に複雑です。研究が複雑なのですから、しかたありません。
しかし、結果論で言うのは簡単で、素晴らしい研究業績をあげた人達が才能をもち、なおかつ努力をしたのでしょう。でもこれも、頭にとどめる真理ではありますが、あたりまえで面白くないですね。

ある側面で、相当な才能があっても研究者として成功しない人も、もちろんいるでしょう。というか、非常に多いと思います。いろいろな人間的要素で研究社会的に生存できないケースはあり得ます。研究者で身銭を切って、研究費を工面してる人はほとんど居ないのですから、誰かを納得、説得、もしくはたぶらかして、研究費を獲得せねばなりません。はっきりしてることは、研究達成の才能だけでは、成功しないのですね。研究の世界は。つらいところです。
それでは、たいした才能もないのに、成功している人はいるか?、もちろんいるでしょう。日本社会の風通しの悪さというかいつまでたっても進歩しない大学あたりにはいっぱい居ますね。こういうことを人ごとみたいに言うので、またまたお叱りを受けるのでしょうね。
脱線しましたが、研究上の才能は主観的にはたいていは結果として気がつく場合がほとんどです。ですから、若いときに、本人はなかなか自分のタレントに気がつかないので、「才能発掘をする才能を持っている人」がたくさんいて欲しいですね。
わたくしは、誰でも最低一つは才能を持ってると思います。研究は非常に多様性に満ちた人間の営みなので、うまくいけば自分の才能と自分の研究活動をドッキングすることが可能になると思われます。ですから、研究は好きでやって、しぶとくやって、あきらめないことだと思います。いつか自分の才能が花開く時がくるのですから。

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