わたくしはなぜ少数派なのか

昨日の記事で30日経ちました。三日、三ヶ月、三年という時間経過から言えば、今日はまだ安定期にはほど遠いです。この間、13000人が述べ数で訪問していただいてます。最近は平均ウィークデイで650から700人を越えるくらいです。わたくしには驚くべきです。
海外からも噂を聞きつけて、英語で書かないのかといってきてます。

沖縄はもうシャツ一枚で十分という陽気でした。

わたくしが、自分は少数派であると気がついたのは小学校の3年か4年くらいだったような気がします。クラスである盗難事件があって、その対応について教師に呼ばれて、生徒がいろいろ聞かれた時に、自分が考えていることが他の生徒と非常に違うことに気がついてしまったのです。意見があまりにかけ離れているので、とうとうその意見は口に出せませんでした。
わたくしの親はどちらかというと、世間の常識に近い人生観で生きていましたので、どこかでなにかよく分からない原因で自分が異端的な発想をする傾向があることに気がついてしまったのです。
大学でのT大ではどうだったのでしょうか。在学した科類400人のうち30人程度のフランス語履修をしたことからも、やはり少数派なのでしょう。当時は医学部志望は絶対ドイツ語と決まっていたので、天の邪鬼のわたくしは、「よし、それなら珍しい医学部生になってやるかも」、という姿勢でしたが、そのうち医学部志望ではなくなり、新しもの好きな自分を満足させる理学部の生物化学科にいってしまったものです。しかし、そこでも満足できず、院生の学業半ばで海外にでてしまいました。

海外生活ではどうだったのでしょう。わたくしの親しくした友人はみな少数派だったので、自分が少数派であることを意識したことはヨーロッパではありませんでした。しかし、米国人は研究者でもステロタイプが多いので、米国にいるときは少数派の意識を常に持ちましたね。わたくしは、研究者のなかでは少数派でありながら、実質的な影響力は非常に強いユダヤ人を多く友人にしてますので、いつの間にか、彼等の影響でしょうが、少数派である自分がそれなりに居心地のよい存在になってきました。

長いこと働いてきたK大ではどうだったでしょうか。教授になって、学部の教授会でぼちぼち意見を出すようになってからは自分が少数派であることを強く感じました。しかし、研究室内では自分の考えてることを常に実行できたのでそういう意識は皆無でした。また専攻レベルでも居心地のよいところで、おもだった同僚教授は個性派が多かったので、小さな世間レベルではK大では長いこと幸せにやってきました。
しかし、学部レベルでの仕事をやらされてからは、これは駄目だという意識が強くなりました。つまり何を言っても、互いに理解し得ないのですね。少数派転落です。物理、化学、数学、動物、植物、どことも家風が違いすぎると言うべきか。ここにいては、自分の意見が通ることは未来永劫ないと、確信しました。しかし、それはそれでいいのかもしれないが、自分に近い研究分野を拡大するのにはまったく不利な状況でした。
わたくしは、大学院重点化のときは、反対側から見たら狂犬的な反対議論をしました。当時の研究科長があとでわたくしに笑って言うには、事務官が「きょうは柳田教授欠席です、今日は大丈夫です」、と報告があったとのことです。
偏差値試験には恒常的に反対意見を述べていました。しかし、偏差値試験はいまはどうか知りませんが、理学部は当時強硬に反対してましたから、この点ではわたくしは当時の学部の多数派の意見と類似していました。
わたくしが、またまた少数派になったのは、理学部での4回生の卒業研究が一年となり「必須」にすると変化があったときです。詳しいことは覚えてないのですが、この時は専攻内でも強く反対をするのはわたくしだけになってしまい、孤立したので、教授会ではそれほど狂犬的には怒鳴らなかったと思います。
卒業研究が必須になって、わたくしの頭の中での本来あるべきK大理学部像は消えてしまいました。99%のaffinityを失いました。

もうそろそろ次にやることが待ってますので、結語にします。
わたくしは少数派を選択しようとする若者が好きです。
少数派こそが歴史を作るのだ、と確信してるからです。
自分について言えば、わたくしにもしも独創性があると認めてくれるのなら、その源泉のほとんどは常に少数派を選択したところにあったと思ってます。

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