園遊会にて

きのうで、TK君の論文改訂も終わって、やれやれ、です。次の論文のfinishingに移れるようになりました。沖縄に移ったNK君の原稿はもう新データが出ないので、「迷い」なくfinishできます。他の原稿ははどれもあと一つ実験が加わると、どうなるのかとわたくしが思いがちなので、ふんぎりが付かない面があります。欲張りなのはいけないのですが、最後の最後まで最善を尽くすのは、研究者魂の基本です。

きょうは天皇陛下ご主催の赤坂御苑での園遊会に招かれまして、日帰りで東京へいきました。「百テレビ場面は一現場にしかず」と思いました。なるほど、なるほどと、これまで、テレビ画像で何度も見ていたけれども、分からなかった部分が、現場に来て、いろいろ納得しました。
CDB所長の竹市さんと奥様に会い、良い時間を過ごせました。竹市さんは大きな賞をまた授与される。めでたい。むかしむかし30才の頃からのつきあいで、気心が分かってるので、こういう場でも、まるで毎日一緒に生活しているかのような会話になる。

天皇陛下のお仕事は(皇后様も)激務だなと痛感。ぜひお言葉をいただきたいと強く願うたくさんの人々としっかり顔をみながら会話をされていかれる。話す人達の一部は前もって決まっていると、聞いたこともあります。でも、陛下の歩かれる通路の前列で待っていて、陛下にお話すれば、お返事をいただけるような感じを持ちました。非常に多くのかた(約2千人とか)が招かれているので、かなり前の時間から辛抱強くじっとその場で立って待っていなければなりません。わたくしは昨年、一昨年と天皇、皇后両陛下と畏れおおくも同じテーブルで短時間ながら話す機会がありました。その時、天皇陛下の真摯ながら、気さくで軽やかな人柄をかんじました。
妻は、皇后様の美しさとエレガントさに感動したようでした。
天候は寒さを感じるほどでしたが、雨も降らず、美しい樹木と花々をみて東京にはこういうところもあるのだと感心しました。ただ、皇居の奥深い自然の感じはありませんでしたが。
妻はそのまま娘のところへ行き、わたくしは、まっすぐ帰宅。このブログは新幹線内で書いてます。
わたくしは、20代半ば頃まではフランスかぶれだったので、漠然と共和制支持だったのですが、欧州で数年間過ごすうちに、30才の頃にはすっかり天皇制擁護となってしまいました。理由は分かりませんが、3年間毎晩のように政治談義をしてる過程で、日本という国を数限りなく説明してるうちに、いつものまにやら、わたくしの頭の中で何かが起きたようです。
その頃から、考えはまったく変わりません。象徴といわれる現今の天皇制は日本の政治体制の中で、文化継承能を持った体制として、世界の中でもっとも誇れるし、今後も守るべきだし、政治に絶望しないですむ点、ほんとにありがたいことです。
政治に宗教を入れるのはいけないと言われますが、天皇制は日本の文化継承、国の過去と将来への継承存続のための祭祀的な役割を果たしているのではないでしょうか。キリスト教を信じる人が日本ではなかなか増えず、2,3%に止まるのも天皇制の存在が原因だとわたくしは推測してます。
陛下はもちろん神ではありませんが、陛下個人は日本という国家の現在と将来を日本人の中でいちばん真剣に考える立場におられることはまちがいありません。誤解を恐れずにいうならば、日本という国家が神を必要とするなら、天皇がその祭祀役をしてきたのですね。今上天皇もまちがいなくそのような役割を社会に対して非常に穏和なかたちで、はたしておられるとおもいます。もちろん皇居内では非常にたくさん儀式的な国の安全と将来を願うお仕事があろうかと推察します。しかしそのようなことをおくびにもださず温顔を絶やさないところがほんとうに素晴らしいです。昨年、国歌や国旗についての園遊会での陛下のご発言が広まったのも、よい社会的な効果があったと記憶してます。
今年は、新潟地震や三宅島噴火被害にあった村長さん達が園遊会におられたようですが、どのようなお言葉があったのでしょうか。(帰ってNHKテレビを見たらやはり、中越村と三宅島の村長さん達が陛下と親しくかなり長くお話をしてる場面がでていました)。
わたくしがこんなことを書きましても、研究の話とは異なり、まったくの個人的感想ですので、大きな誤りを書いてるかもしれませんが、そうならばお許しを。また敬語の使い方が誤っているかもしれません。わたくしもそういう部分には自信がありません。

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