5月1日、メーデーですね。最近は労働者とかもう死語ですか。労働者団結せよ、といっても正社員と派遣とアルバイトがほとんど同じような仕事をしてる時代、どう団結するのか、団結しようがないですよね。大学では給料と能力がへたすると逆比例するような時代ですから、働くものが一緒になって経営者に要求するのは難しい時代なのでしょう。
本当は今日はブログ休もうかと思ったのですが、ついつい書き出すと、もう此処まで書いてしまいました。
論文のほうはまだまだですが、畑のほうの労働は峠を越えました。ケージ内もかなり片づいて、菜園らしくなってきました。いつも声をかけてくれる、Mさんこのケージを見て大笑いしてました。せんせい、よっぽど怒ってたんだね、という。最近は繊維のネットで猿よけは十分出来たのだが、冬の雪で何度もネットがつぶれるので、とうとうこうしたのだと説明したかったのですが、やめて一緒に笑っておきました。Mさんは80才を越えてるが、それでも1町歩以上の水田を奥さんと二人でやっている。坂道も自転車で上がってくる。元気いっぱいに見える。妻が聞いたところによるとさすがにお米の苗は今年は買ったとか。きょうはイノシシ、鹿よけの電気柵の点検日とか。たくさん、農家の人が出てきて、電気柵のゆがんだのや、雑草が触ってるのは取り除く仕事をしている。共同作業なので、まあメーデーにやるのにふさわしいのかもしれません。
隣の水田も半分くらいは水が入り、毎晩カエルが騒がしい。
此処まで書いて思い出したのですが、まだ日本が米軍に占領されていた時代、わたくしがたぶん小学校2年か3年くらいの頃だと思うのですが、職業適性検査なるものを受けました。そうしたら、わたくしは、肉体労働も知的労働もどちらも大変よろしい、という結果がでました。なにを根拠にどうしてそんなことが小さな子供相手に分かるのか、まったく分かりませんが、ともあれそういう結果でした。わたくしは大変誇らしく思ったのを思い出します。
中学校でも職業家庭の授業がたいへん好きでした。大工道具とかミシンの構造とか、いつまで見ても見飽きなかった記憶があります。ただエプロンか何か作らされて、うまく出来ずにかなりがっかりした記憶があります。
ちょっと脱線しましたが、わたくしにとって肉体労働はいつまで続くかわかりませんが、体が続く限りやりたいなと思います。50台半ばまでは、サイクリングなどのスポーツをやってましたが、いまはこういう畑仕事的な体を使ったのがいちばん楽しいです。
けっきょく脱線状態で今日は終わります。メーデーについての気の利いたコメントは出来ませんでした。