夜の稲田の水面

夕食の後で、外に出ると、水田の水面に比良と蓬莱のシルエットが見事に映っていた。空を見ると半月。雲ひとつない。蓬莱の左にある比叡山までスッキリとよく見える。
風で水面が白く光る。何枚もある水田が風の届くずれだろうか、時間差で白くなる。しばらく眺めていた。
稲作が続く限り毎年見える景色だが、この水田を維持する人達の平均年齢は毎年ほぼ一年ずつ上昇する。いつまでも続いて欲しい景色だが、現実にはわたくしがここに来だしてから、もう何人もリタイアしたし、代わりにやり始めた人たちも、定年後の仕事。継続は安泰ではない。
鎌倉時代の頃に此処は開墾されたと、Mさんは言っていたが、山のシルエットは同じでも、水田の様子と水田を維持する人達はまったく異なってしまった。

 この間、久しぶりにGに昼飯を食べに言ったら、道路の反対側にあるはずの喫茶Aが見えない。しばらく立ち止まって、一軒一軒確かめても確かにない。その代わり、Aがあったはずのところに似てもにつかない外観の建物があった。
 Gに入って挨拶もそこそこに、Aはどうしたの、と聞くと、おばちゃん亡くなったの、後はだれかラーメン屋さんが買ったらしいとの答え。本当にびっくりした。去年の3月に研究室を引っ越して以来、いまの研究室から歩いても10分はかからないのに、こちらのほうにはさっぱり来なくなった。。それでもたまにはGで昼飯を食べたりしたのだが、道路の反対側とはいえ中央分離帯もあるし、Aに何かが起きたことに気づかなかった。
 おばちゃんは昨年秋に亡くなったとか。冥福を祈った。随分長いことお世話になった。一人で店を切り盛りしていて、しんどそうだな、と思ったことはときどきあった。口数の非常に少ない方だった。一度昼の2時過ぎにいったら、店には客が二人いたのに、おばちゃんはカウンターでうつぶせになっていた。体のどこかが痛かったのかもしれなかった。Gでもどういうことで亡くなったかは知らないということだった。
そこで話題になったのは、わたくしがいつも行っていた、理髪店Hがやめてしまったことである。これはかなりショックでした。かれはわたくしの父と同じ名前なので、贔屓にしていたのだが。やめた理由がよく分からない。突然のこと。
その前はYという理髪店に長いこと行っていたのだが、高齢になったので廃業したのでした。その後やっとHを見つけたのに、10年も経たずしてやめてしまうとは残念。彼のお父さんが去年の暮れに亡くなったので、そのことが関係しているのだろうか。
とりあえず、百万遍のそばの理髪に行くことにした。世間話をしながら、理髪店の数が減って困るとかいって、ところでYさんはもう廃業してだいぶ経ちますが、最近はお見かけしない。どうしてるのでしょうかと聞いたら、Yさん数年前に亡くなりましたよ、との返事。しかも、それから奥さんもすぐ亡くなりましたよ、とのことでした。あの元気な奥さんまで亡くなったのか、とこれはかなり驚きました。奥さんは80才にはなってないと思っていたのだが。
Yさんの話は本当に面白かったのに。腕もよかったが、昔のK大教授の先生方の面白い逸話をたくさん聞いたものでした。
なにかきょうは寂しい話しを書いてしまいましたが、水田の夜景を見てるうちにふとお世話になった故人を思い出してしまいました。水面を吹く風が故人を呼んだのでしょうか。

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