Cut物語 その1ーベンチがあほやから、

きょうは、当研究室で分離した代表的変異体であるcut変異体の分離の経緯のようなものを書いてみたいと思います。いっぺんで書くのは大変なので、始まりの部分を今日は書きましょう。

その青年は真剣な顔つきをして、つかつかと部屋に入ってきて、わたくしに質問を始めました。K大理学部生としては目つきが鋭すぎる感じでした。質問の具体的な内容は、よく覚えてないのですが、確かこれから生物学の勉強を続けるためにどうすればよいか、化学や物理学とかそういうものの勉強はどう進めたらよいのだろうか、確かそういうものだったような気がします。わたくしが、何か言い始めると、この青年はノートを出して、すごいスピードで書き出しました。数分も経たないうちに、わたくしは音を上げてしまって、きみそのわたくしのいうこと、速記みたいに書くのやめてよ、といわざるをえませんでした。たいしたことは言ってませんし。
これがUT君との最初の出会いというか、話し合いでした。ともかく、なんかすごいエネルギーがあるな、はち切れんばかりの勢いがあるな、というのがその時の印象でした。あとで、かれは空手を大学でではなく、町中で習ってるとか聞いて、目つきの鋭いのと、独特の歩き方をするのには納得しましたが。
 彼は卒業研究で来るということになりまして、実験を始めたのですが、エネルギーがありすぎてそれはいいのだが、空回りもはげしい。どうなるものやらと思っていますと、彼のえらいところは、そのことをみずから自覚したらしくて、わたくしの所にやってきまして、すこし山の中でもこもって、精神修養をしたいと言い出しました。確か、卒研の終わった頃でしたか。なにをしたのか、寺にこもったというのは聞いてますが、薪割りをしたのかぞうきんがけをしたのか聞いたことがないので分かりませんが、ともあれかなり落ち着いた感じで研究室に復帰しました。
 かれにはやや物理化学的な実験を修士1年に入ってからやってもらったと、記憶してます。当時スタッフにいたMKさんと一緒にDNA分子水溶液での動的な振る舞いを光学顕微鏡で観察しました。今で言うと、単分子観察なのでその先駆的なものになるわけです。しかし、実態としてはDNA分子のマイクロブラウン運動を見てるわけでそれをビデオ画像から一つ一つ時間毎にトレースするので、元気いっぱいなUT君にすれば退屈きわまりないものだったでしょう。
たぶん彼がM1の秋頃か、阪神タイガースにいた江本選手がベンチがあほやから野球がでけへん、という名言を残しました。
別なスタッフのNOさんが、UT君がベンチがあほやから、とどこかで怒鳴ってましたよ、とのことを教えてくれました。わたくしも、そろそろ生物的なテーマを出さねばいけないと思っていましたので、相談をして彼には突然変異体の分離を持ちかけることにしました。本人は意図していったのか、わかりませんが彼の側からはそのひと言が事態の変化に役立ったのでしょうか。
しかし、わたくしが彼にいったのは、突然変異体を分離するとはいってもとびきり大変ないわゆるブルーとフォース法というもので、文字通り蛮勇的な「しらみつぶし的探索」というものでした。アイデアは、DNAトポイソメラーゼ(トポとこれからいいます)の変異体を活性を一株ずつ測定して分離したいというものです。
まず分裂酵母に沢山変異を入れて、一株ずつ培養して、細胞をつぶして抽出液を取り出して、それぞれトポIという酵素活性を測りました。
UT君の迫力があったのは、これをわずか2か月程度で1500株くらいの活性を測ったことでした。そして二株のトポI変異株の分離に成功したのでした。彼がすごい勢いで実験を遣っていたのをよく記憶してます。彼はやってることが常に目立つ人でしたので、特にこの時は目立ちました。殺気立ってるというのでしょうかね。
ところが取れた変異体は、なんの表現型も示しません。間違いなく酵素活性の欠失はメンデル遺伝をしますが、なんの不都合も細胞にはありません。UT君の真骨頂はこの後に現れました。今度はもういちどこのtop1マイナスの株に変異を起こして、もう一度変異体をスクリーンしよう。今度はトポII(top2といいましょう)という変異体を探しましょう。今度は前と違って、まず温度感受性の株を分離して、またまた抽出液を何百株で作ってtop2の活性をはかってみましょう、という提案に彼はすぐ乗って、実験を始めました。
わたくしはその時、このような英雄的院生がいるのだなと、心から感服したのを記憶してます。
UT君に直接聞けばいつ頃始めていつ頃top2変異体(実際にはtop1との二重変異)が取れたのか教えてくれるでしょうが、わたくしの記憶では非常に短くまた数ヶ月で変異体分離に成功したと思われます。酵素活性の測定はDNA分解酵素に非常に邪魔されやすいのとATPを必要とするのですが、彼はついでにDNA分解酵素の変異体も取ってしまうという勢いでした。
こういうふうに取れてきた、top2変異体は今度は温度感受性でした。
そこで表現型です。いったいどのような染色体の異常が見えるか、非常に楽しみにしたものでした。野生株とかけてtop1変異を除いたtop2 変異だけの株が観察に必要です。
ところがtop2変異体の細胞を見ると、DNA複製とか分配とかが異常なのかどうか分かる以前に、まず目を奪われたのは、核分裂をやってないはずなのに細胞分裂がどんどん起きてしまって、細胞核までもブチブチに破断されて死んでしまっているのです。後にこの表現型をカット(Cut)と呼んだものです。
しかし、よくよく詳しく見ると、染色体の分離・分配はまったく起きてませんので、top2は染色体分配(核分裂)に必要と結論したものでした。面白いことに、top1 top2の2重変異では核染色体の構築が崩壊したようになりました。
それで、これら二つの酵素は共通機能を有していて核クロマチン構築の維持に必要だが、top2は単独で染色体分配に必須と結論しました。これらは文句なしの正しい結論でした。

この修士論文として見事な研究は、EMBO Journalの1984年vol3, p1737)に出ています。
UT君はいまやれっきとしたK大教授なので、君付けをしてはいけないのですが、昔話なので勘弁して貰いました。
今日はここまでです。次回はそのうち書きます。

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