けさホテルで琉球新聞を見てましたら、「見えぬ少子化解決策」とありました。沖縄は全国レベルではそれでも女性の出産する子供が二人位で一番多いはずですが、県民的には少子化は強く感じられてるでしょう。しかし、東京は一人以下ですから病的な社会状態であると感じる方は増えてるのでしょう。
わたくしはこの問題には少数意見に近いのでしょうか、人口減少は致し方ない、むしろ日本がいまよりずっと素晴らしい国になる過程とかんがえたいのです。ただ、そのあいだのtransitionが考えれば考えるほど大変難しい。
ともあれ、人間的にもしくは生物学というか環境的に考えればいまの人口の半分くらいが適切なのではないかと思うのですが、この議論は前に出した本(生命科学はおもしろい)のなかではより詳しく論じたつもりです。ここではすこし視点を変えてそれでは日本での今までの人口減少を憂える議論を思い出してみましょう。
江戸時代の終わりの頃に日本の人口は3千万人といわれているようです。
生めよ増やせよ、で人口を増やしたのは兵役の人数確保と植民地経営であったことははっきりしてます。「人口増が資源増」だった時代です。今の日本人でそんな時代に戻りたいなんて思ってる人はいないでしょう。
第二次大戦が終わってから、人口はたぶん30%程度増えてるでしょう。これは医療や食事の改善、生活の厳しさの低下と健康に対する関心の増大、そういうことが原因でいまは人生90年時代を謳歌してるひとたちも相当数居る時代です。今の日本は江戸時代の終わりの頃の4倍以上にもなる人口がいるのですね。
少子化はここまで進行したので、人口の減少は将来的に必至です。いくら寿命が延びてもそのうち人口はまちがいなく相当のスピードで減り出します。このことを恐れてるのは、おもに行政、政治、経済の関係者です。一般の国民も相当恐れてる人は増えてるでしょう。
なぜでしょう。いろいろ理由はあります、ヘンな言い方なのですが、「人口の頭数がめしの種」という職業の人達は多いのです。直感的に困ると思うはずです。それでは一般の国民レベルではどうでしょう。もちろんはっきりしてます。「年金問題」というか働く人間が何人で働かない人間を支えるのか。ちょっと考えれば急速な少子化は年金制度の破綻を意味するような気がしませんか。
しかし、老齢者の年金を支えるために生めよ増やせよでは、これでは明治時代の頃の「人口増が兵隊増」とまったく変わらない考えではありませんか?つまり「年金を支える兵隊」となってしまいませんか。
この考えに対する一種の本能的拒否(若者による)がこの少子化とわたくしは思ってます。それではどうすればよいのか。老齢者というか年金を貰う人間がこのことをしっかり考える必要があります。さもないといわゆる元も子もなくなってしまいます。
ここで朝食後の休憩時間はなくなりました。これからうるま市まで行かねばなりません。沖縄にくると休憩時間は日中から夜までずっとないのですが、もしも夜に時間があれば、この尻切れトンボの後をつぎたせますかどうか。