偉大な堀江謙一さん  Great Horie Ken-ichi

きょうはもちろんバンコックでの北朝鮮戦。勝てばワールドカップへ。負けたら、厳しいイラン戦までおあずけ。その前に書いてます。

堀江謙一さんが世界単独一周の両周りを完成させたとのことです。堀江さんは今は肩書きは海洋冒険家というのだそうですが、弱冠23才でサンフランシスコまで単独で渡ったときには、世間は彼をなんと呼んでいいか分からなかった。それで、太平洋ひとりぼっちの堀江さん、などと呼ばれました。わたくしは、その頃の新聞報道をよく憶えてます。もちろん大ニュースとして扱われましたが、でもそのトーンにはかなりきついものがありました。
無謀。死んだらどうしたのだ、まわりに迷惑をかけるだけではないか。
ヨットの実力もたいしてないという噂ではないか、それなのに、みんなに隠れてひとりで行くなんて。ぬけがけではないか。
米国入国の許可もなし、ビザもなし、それで米国までいくなんて、立派なことをやってもこれではほめられない。
こんな調子でした。これがお上が認めたマナスル登山などではマスコミは偉業、偉業の連日の大騒ぎでした。やはり、一人でやる行為を日本人はどうもあまり認めたがらないのですか。
だいぶ時間がたってからも賛否相半ばで、堀江謙一さんはどこか無鉄砲なひとという世間のラベルがなかなか取れなかったですね。ただ、石原裕次郎の映画もあって日本人の作った冒険ドラマとして誰もが知ってることでしたが。堀江さん、その後いろんな試みをしてますね、根っからの冒険家、日本という国が生んだいかにも日本人らしい冒険家でしょうね。
ひるがえって、日本では大組織に属してない単独の行為を、世間を代表するはずのマスコミがどう認めていいかわからない傾向がありますね。今もそれほど変わりません。でも堀江さんは66才の今日までに成し遂げた業績がすごい。記録を見れば、偉業としかいいようがありません。しかし、ひとつひとつは、一見ひょうひょうとしてやってしまうんでしょうね、大げさに言うのが嫌いな人なのでしょうね。
冒険をするためのお金を集めるのがさぞ大変でしたでしょう。我々が研究費を得るよりははるかにはるかに大変でしたでしょう。いつも単独ですから。この単独行為にわたくしなんかは、かなわないと、参ってしまうのです。
日本人の偉大な冒険家たちはなんてさりげない感じなんでしょうね。なくなった植村直己さん、おなじように素朴な飾らない人でしたね。

日本の歴史のなかで、堀江さんをどう位置づけるのでしょうか。たぶん、いまはどうする必要もないのでしょう。かれはまだまだやる気いっぱいのようですから。やれるだけやって人生を全うしてほしいですね。そうすれば、時間が経って、ちゃんと歴史が評価して定着するでしょう。かれは独歩の人で、けっきょく業績上の競争相手もいませんね。
現存時代のわたくしたちは満腔の尊敬の念をもって、しかしなおかつ、ごくふつうに親しい気持ちで接すればいいのでしょうね。
歴史に残るからといって、神棚にあげる必要はないでしょう。偉い人でもごく普通に生活してほしいですね。
これ、結局、北朝鮮戦の前半が終わったところで投稿しました。ここまでなんだか危なっかしい練習試合みたいな感じ。これで、後半大丈夫でしょうか。

追記
後半、大黒が入ったら、がらっと戦い方変わって、あっさり勝ってしまいましたね。柳沢と大黒のゴール、どちらも印象的でした。最後に地味な柳沢にもスポットライトがあたり、よかった。いい顔をしてました。そして大黒はいまや大黒様ですね。神様ジーコと大黒様と日本チームあと必要なのは仏さまになりました。鈴木とか柳沢はそんな顔をしてるんですがね。

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