続き Continued

今日こそ、休もうと思ったのですが。
佐藤優「国家の罠」を一気に読みました。わたくしにはむちゃくちゃに面白かった。
読みながら20代なかばの頃のことを沢山、走馬燈のように思い出しました。
その理由を自己判断してみたいです。うまく判断できたら、いつかここで書きます。
今日は、雨が上がったので畑の作業と、夕刻研究室のふたりが、関係分野の米国の若い研究者夫妻を連れてきて、一緒に晩飯を比良山麓のほうでとります。午前中は、MS君の最後の最後のデータがでたので、論文をまとめ一歩進めねばなりません。日曜なのに早朝から忙しい。
昨日のを読み返すとちょっと舌足らずかな、と思えました。でも直すのも大変なので、このままにします。それでもちょっと追加的なことを書きます。補足です。
わたくしは、大学院生と一緒に仕事をしてきました。そういう世代なのでしょう。自分で言うのも何ですが、大学院生を育てるのにこれまでの生涯を捧げてきました。よい研究成果をあげようと思ったら、それ以外にまったく方法があるようには見えませんでした。
しかし、教授を辞めて見て、日本の現状を見てみると、世の中は確実に変わってきているのですね。この増大したポスドクを何とかしないといけない。しかし、ポスドクを育てる姿勢が誰と話しても、どこにいっても希薄です。話題にすらならない。ポスドクほしいと言う人は沢山いますが、ポスドクをどう育てるか、そんなこと話題にするような人達にあうこと滅多にありません。話題にする人はみな研究が世界水準に達しているごくごく少数です。
これでは、本当にいけない、このような気持ちが強くなりました。そういう目で見ると、大学院学生を育てる姿勢すら、ちょっとひどいじゃないかというボス(学生から見た)というか教授連が増えている。阪大の捏造事件に対するわたくしのきつい姿勢にもそのあたりからくる最近の経験が裏打ちされてます。でも、かれらボスを直ちに無くすことなど出来るはずがありません。それどころか定年までながながと保証されています。
どうすればいいのか、文科省や大学行政的には選択肢はあまりないでしょう。考えを改めたら、ポスドクにとって、優れたボスになるかたたちもいるかもしれません。でもたぶん、悪効果を薄める方向しか、無いような気がします。つまり、研究のユニット数を飛躍的に増やして、研究室のサイズを小さくする、これこそが救世的な手段のように見えるのです。研究室も「少子化」に持っていって、一人一人のメンバーを大切にする。
ポスドクの場合、それはたぶん「野に放つ」ことが日本の場合特に彼等を大きく育てることになるのではないか、こういうことを考えてます。研究のために、自由に動き回る、あちらに行き議論をし、またこちらでも実験をして働く、そういうポスドクが増えてほしいですね。

ところで、わたくし貧乏がきらい、という表現を用いてません。。「貧乏という言葉」といってます。500万円が一人歩きしてますが、20代後半なら大きな額だし、40代半ばなら多くない、誰でも分かることです。でもどなたか書いてるように、ポスドクの平均的な「職能給」ですから。それに、日本では同じ金額でも、価値が住むところによって、すくなくとも倍は違います。これに知的水準のたかい人達は早く気がついてほしい。素晴らしい仕事をすれば、日本のどこにいたって、外国の連中はどんどん来ますよ。敬愛するOTさんの岩手盛岡での研究は素晴らしいとわたくしは外国人研究者から聞いてます。沖縄の具志川(うるま市)にぜひ訪問したいというわたくしの仲間の研究者は増えだしてます。ここのセンター近辺での生活費がどれくらいかかるか興味があるひと調べてみてください。
最初にわたくしの書いたブログの、大意をくみ取っていただければありがたいです。

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