戦後60年 その3 Sixty years after the War 3

きょうは研究科のシンポジウムがありました。
大学院生をとれない研究室なのですが、わたくしもプログレスリポートをする義務はありますので、先ほど行って話してきました。的確な質問が二つありました。powerpointはなぜか、memory stickでやったら、スライド3枚くらい情報が飛んでしまいました。わたくしのパソコンではちゃんと見えたのですが、TK君の図だけで起きたので、彼の作り方が、会場パソコンにはなじまなかったのでしょう。

今日はもう一つ戦後60年を考えたいと思います。それは、学問の継承性です。日本は戦争に負けて、戦前の科学技術のことも忘れがちというか、歴史が切れてしまった面があります。本当は切れてないのですが、そのような人脈が大切に記憶されていないのですね。これも、敗戦ぼけというか、植民地化されて日本の学閥が、アメリカの研究人脈に再編成されてしまったのかもしれません。悲しいことですが、日本人は自画像的な、自分の歴史を忘れてしまう傾向があるのですね。特に戦争前の歴史を忘れてしまうことについては、ちょっと天才的ですね。
戦前には戻れないと思いますが、自分が今やっている研究テーマがどのようなかたちで起源を持っているのか考えてみるといいですね。そんなに難しい作業ではありません。Pubmedをつかうと1960年代くらいまで戻れますか。完全ではないですが。

研究とは優れて伝承性の高いもので、文献がゼロの論文などあり得ません。文献をたどっていくと、起源性の高い研究が見えてきます。しかし、そのように起源性の高い論文ですら、たくさん文献を引用してるはずです。先人の知的活動を抜きにして研究は存在しないのです。

日本の染色体研究は1930年代に驚くほどの進歩を遂げて、世界的に一級の成果をあげました。すこし古い染色体の教科書を見れば明らかです。欧米の年配の染色体研究者は松浦教授や桑田教授の研究成果を覚えてます。日本では覚えてる方はもちろんいますし、実際にはその一部の学問は継承されてるのですが、歴史の流れとして記憶されてる訳ではありません。
科学が輸入されてきたことが主たる原因だと思います。戦前の主たる輸入先のヨーロッパが戦後は米国に変わったということなのでしょう。このような科学の歴史を相撲や歌舞伎などの継承性の高い日本の文化と比較すれば、その差は歴然としてます。戦前から戦後に途切れずに歴史が続いています。
わたくしは、科学を日本の伝統文化の一部にするためには、もっともっと日本の科学の歴史を語らねばいけないと思います。

それで、一例として、わたくしはよく自分の学問的系譜を語ることにしてます。
わたくしは大学院時代の指導教授は野田春彦先生で、先生の先生は物理化学者の水島三一郎博士です。水島門下はかなり沢山おり、戦前から戦後にかけて多数の研究者が輩出したのです。野田先生に聞いた話では、水島先生の先生は磁石の単位になっているDebye博士だそうです。水島博士が1899年生まれ、Debye博士が1884年生まれ、野田先生がたぶん1922年生まれではないかと思いますので、わたくしの日本での学問的系譜を3代上ろうとするともう外国の学者になってしまうのです。わたくしの年齢ならだいたいこんなものだと思います。わたくしの研究室の出身者が大学院生を育ててますが、その世代でも明治以降せいぜい5代目か6代目なのですね。時間的にはまだまだ未熟な歴史しかないのです。ニュートンやダーウイン、いわんやアリストテレスまで遡る西洋の科学の一貫した流れに対してわれわれはいかにして日本での学問を作っていくか、考えねばなりません。

時間が来てしまいました。尻切れですが、ここでやめておきます。

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