退職後三ヶ月経ちました。retireしたというと、今の生活から見てどうも抵抗感がありますが、教授を辞職したとすると、いまの感覚にあいます。教員は辞職して、いまは期限付き研究員をしてるということなのですから。研究はretireしてないので、むしろ教授をresignしたのだと自分では思ってます。
わたくしはなにか新しいことを始めると、三ヶ月経つといろいろ考えることにしてます。反芻というか反省というか、そういう時間を過ごします。
わたくしが、関心を持っていたのは、研究室にいる現役の大学院生がどのように感じているかです。当然ながら、彼等は研究に集中したいでしょうから、研究室がなにも変わって欲しくないという気持ちを持ってるとおもいます。しかし、新人の院生は来ないわけですし、卒業研究の学部生も、もう2年前から来ていませんから、新味がない研究室と思わざるを得ないのでしょう。研究費のこともあり、新規雇用も控えてますから、院生が元気がなくなって不思議はありません。
しかし、今のところそういう悪い兆候は出ていないように見えます。前と同じか、研究の話しはよく皆でしているな、という感じがあります。院生の誰かと、研究の進捗状況を話した後で、次の日にはその議論の内容が別の院生達のあいだでも共有されてるようです。これはとても良い兆候です。
今の状況は、彼等にとっても逆境に見えるかもしれません。しかし、人材は往々にして逆境から生まれてくるものです。いまの自主研から、将来人材がぞろぞろ出てなんら不思議はない、というのがいまのわたくしの率直な気持ちです。いまのわたくしの姿を見て貰った方が、真の意味での研究に対する教育が出来るんじゃないかと、思うようになりました。彼等はわたくしとは書類上の指導者学生の関係は無くなりましたので、なんというか、寺子屋的というか塾的というかそういう関係なのですから、それもまた良いのかもしれません。
しかし、そうはいいながら問題は色々あります。まずわたくしの、この研究員という職は、大学では教員ではなく、いわゆる物件費扱いといって、雇用としては物件的なもの(つまり教員、職員という本来の大学の構成メンバーではなく、存在としては椅子、机、装置などとあまり変わらない物件)なのですね。ヘンと思われるでしょうが、大学はこういう組織についての点はきちんとしてますから、事務上のいろいろな流れで教員でない人間が運営する研究室には問題あるなと、気がつく仕組みがあります。
でも、それはそれでいいのかなと思うようになりました。学生やポスドク、秘書さん達に迷惑がかからなければ、むしろそのほうがわたくしには気楽でいいと思うようになりました。というか、物件的研究者はそれなりにいいこともあることに気がつきました。とはいえ、こんごどうなるのか、そもそも来年はどうなるのか不安なこともあります。しかし、それはこの自主研のメンバーは全員よく理解してくれてます。だから、まあじたばたしてもしょうがないでしょう。研究成果のみで判断されるのなら、どこかの誰かが我々の研究をサポートしてくれるはずです。K大にはわたくしと同じように一年限りの契約雇用で勤労する人達が何千人も居るのですが、わたくしもその一人となって、将来の不安という点で、彼等の気持ちがすこしは分かるようになったのですから、これもまたいい経験なのでしょう。
わたくしとしては、退職後の研究室は院生も取れないので、臨床系のやる気のある優秀な医師にアカデミックな研究の面白さを知って貰うべく、駆け込み寺的な研究室運営を考えていたのですが、現状ではまだまったくの絵空事、端緒にもついてません。それに駆け込み寺のような需要はいまは無いですよ、とも消息通に言われました。