今日の雨はきつかった。それで、外へ出る機会を失って、結局昼飯は食べず。このあいだ、SK君が来たときにお土産でくれた、カリフォルニア産のピスタチオをすこし口にいれて、お腹をなだめました。
おかげでいろいろ仕事は速くできたのですが、それほどやりたい仕事でもないのが一つあって、それで、外の景色のように、なんとなくじめついた一日でした。
昨日の夜は、妻が奮闘して、山桃から、ジャム(大変なのでやめた方が良いらしい)、お酒、酢と三種類作って5kgはなんとか処理できました。そのまま食べてもかなりおいしいので、楽しみ。今朝はジャムを賞味しましたが、かなりいけました。前に作ったときとは大違いでした。娘に宅急便で送った野菜も好評で、今年はこれから大量に出てくるあの桃をどうするか、いまから嬉しい心配してます。それで、インターネットで桃のジャムの作り方を見ていたら、電子レンジで簡単に作れそうなので、もしもおいしいのが取れすぎたらジャムにすればいいかと、皮算用です。
このあいだ、出かけていった御影通りのBは金曜だったせいか、お客さんたくさん入ってました。10年位も前には、お客が少ないので、友の会でも作らねばならないかと、心配したこともありましたが、最近はいついってもコンスタントに入ってるので安心してます。Mさんはフランスで修行してないけれど、フランスでもかなりいい方にランクされるはずです。数年前に、わたくしにとっての大先生であるAK夫妻がおいでになったときに、お二人をここにお連れして食べて頂いたら、すごくおいしいとおほめの言葉を貰ったものです。次の日は京都でも有名な天ぷら屋Yに行く予定だったのに、なんと奥さんが「またあのBにいきたい」と言い出して、結局二日続けていったことがありました。それくらい、おいしいのです。今回も良かったでした。食事がおいしいと話しがはずむのは当然とはいえ、そういう店はそうたくさんあるわけではないです。
日本に独創的な科学はあるか、ですが、もちろんあるとおもいます。自分で好きなようにやってれば自然にそうなるとおもいます。自分の胸に手を当てて、「本当に」面白いと思う研究は自然に独自の色合いをもたらします。もたらすはずです。学問の壁を意識過ぎないことです。周囲にすぐに理解されなければ、これこそ自分のやってることは本物かもしれないと思うべきです。
自然、社会、人間に囲まれた自分が毎日生きている生活感が研究にも滲み出るはずです。ルールは同じでも、サッカーのスタイルもあれだけ異なるではないですか。
絵画というジャンルをとっても、驚くほどの広がりがあります。その中で日本的なものは、日本的でありたいとおもってやったのでなく、日本で生活してれば、何も意識せずに素材を好きなように選びそれに適合した対象を描いてるうちに出来てきたのではないでしょうか。独創性は最も自然にやってるときに生まれてくるものだと信じてます。そのためには、自由な心と自分の生きている生活感が大切です。理解されないなかったら独創性の最初の条件は満たされたと思えばいいのです。ただ日本的だから日本人に理解され、外国人に理解されにくいなどと思うことはないでしょう。むしろ最初に理解してくれるのは外国の研究者かもしれません。
そういうわけで、逆説的ですが、日本的な研究をしたいのなら、日本を意識しすぎることはまったくありません、だた素直に自分の感性にマッチした研究をやってれば、かならずやそこには風土的に何か独自のものがひそんでるはずです。