年を取ってくると睡眠時間が少なくて平気な人が増えるそうですが、わたくしもその一人で、その気になれば毎日5時間でOKです。その気になれば、というのはまあそこまで早起きしないでいいだろうと、頭は機能しているのですが、とりあえず横になってるからです。
きょうは朝4時頃に目が覚めたのですが、ちょっと早過ぎるとは思ったのですが、午前はゼミもあるので、朝のうちにすませると気分がいいこともあるので、まずそれをやったら、順調にいってまだ6時なので、それから一休みと思ったら寝てしまいまして、7時半に妻に起こされた次第。それでも睡眠5.5時間ですが。この二つに分けて寝る芸当も努力しないで出来るようになりました。
学生の頃は朝の長寝がこのうえもなく好きだったのに、まったく人生は不思議というか不可解です。
わたくしがもう何十年も院生相手に繰り返し話してるお話しなのですが、科学者を3種類に分けることが出来ます。彼等の仕事は、
Beginning of science 始めの科学
Middle of science 中盤の科学
End of science 終わりの科学
のどれかです。大半の科学者は中盤の科学をやります。それはこの中盤の科学が研究人口も多く、分かりやすくて面白くて、進歩も早く、評価もしやすいからです。
いっぽうで極めて少数の科学者が「終わりの科学」に従事できます。例となる科学者としては、遺伝子コードを解明した頃のフランシス・クリックです。彼の力によって、遺伝子コードの解明は「終期」を迎えることが出来ました。
始めの科学をする人達は、終わりの科学者よりはずっと多いのですが、中盤の科学者よりはずっと少ない。たぶん10%以下でしょう。その中のまたごく少数の幸運者が真の意味で新しい科学(分野)を創始出来ます。始めの科学を目指すのは少数であり、いろいろな苦難があるが、やりがいはある。
始めの科学者の分かりやすい代表的人物は、この話をしていた講演者そのものだったのですが、さすがに彼はそれが自分なのだとは言いませんでした。
この面白いある種のたとえ話は、Sydeny Brennerさんがまだわたくしが35才位の頃に日本のどこかでしゃべったのですが、それ以来わたくしよく話題にします。
もちろん、Brennerさんは線虫を用いて、新しい多細胞生物学とその遺伝学を創始したのですが、ごく初期の頃、彼は割合攻撃されていました。1960年代の終わりの頃に線虫の研究者でもっとも老舗のあるかたの講演をきいたら、その人は講演の3分の一位の時間をつかって、いかにBrennerさんがその当時やってることは、線虫の世界で新味がないかをるると話してました。つまり新味すらなかなか認められないものなのです。彼の弟子のSulstonさんの細胞系譜の仕事が出てみんなが心から感心するまで、初期の頃の変異体分離とその解析はそうそうはかばかしいものではありませんでした。わたくしも線虫の細胞のひとつひとつを電子顕微鏡写真でトレースして個体全体がどうできるかを調べてるのだと、まだ始めた頃の写真を見せて貰った頃は、こんな頼りない感じでどうにかなるのだろうか、正直思ったものでした。
こんなことを書いてるからには、わたくしも始めの科学をずっと目指して来たことはたしかです。しかし、初期のわれわれの分離した、染色体凝縮・分配異常の変異体の論文がJMBに出るのに、投稿から2年以上かかったのも、我々の仕事がひよわいこともありましたが、中盤の科学をやってるレビューアーから見れば、なんともまだるっこしいし、やる価値があるかも疑問なのでしょう。むちゃくちゃに扱われたものです。われわれの初期の分裂酵母を用いた研究にとって最大の天敵は、出芽酵母の研究でして、その頃の出芽酵母は多くの分野がすでに中盤の科学になっていました。
レビューアーは常にいまさらこんな無名のなんの土台もない生物でHartwellと似たようなことをいまから始めてなんの意味があるのか。やめろとはレビューに書いてありませんが、事実上こんな研究やめなさいと言うにちかい、不可能な実験をやれとか、そういう類の注文をつけてきたものでした。要するに、無駄だし、邪魔だというトーンでした。数年前にノーベル賞をとったPaul Nurseも一番困ったのはかれがうっかりCdc変異と命名したが故に、出芽酵母のCdc変異と混乱して、まさに模倣的態度の研究の証拠だ、独創性はなにも無いじゃないか、と絶え間なく批判にさらされたものでした。もちろんそんなことに関係なく、研究の真価を理解してくれる人達が居たことも事実です。
わたくし自身も当時名古屋大学教授だった、柳島教授にあなたの仕事は盤石の準備をしたから、これからはものすごく進むでしょうと、激賞されたときに心から嬉しかったことを思い起こします。そういってくれたのは、まさに柳島先生や日本女子大の大隅先生、それにPaulのようなごく少数の人でした。米国のYeast meetingでポスターを出したら、分裂酵母は2つしかなく、わたくしのはなぜかミトコンドリアのセッションに入れられてました。
こんなことをごたごた書いたのも、始めの科学を目指すのはよほど強い意志と自信が無いと、やらない方がいいですよ、という忠告です。
それではわたくしは中盤の科学をやらないか。やってます。しかし、それは自分のグループで芽生えたものが伸びてきたものに限ろうとしてます。
わたくしとしては、始めの科学をやる感じは掴みました。そこで生きぬくすべもいまなら充分知ってるつもりです。しかし、終わりの科学はとうとうこれまで一度も参加できなかったです。憧憬のような感覚で終わりの科学を考える次第です。
中盤の科学をやるのは研究費獲得の為でもなく、またヒットを打とうとするからでもなく、純粋に面白いからです。自分が開拓して、耕したものが姿かたちがはっきりしてくるのはとても面白いからです。ただ人が開拓したものの上には乗っからない、これがわたくしの人生の中心的なコンセプトでした。でも、そうおもっても、それでも周りからは、誰それの研究の影響でしょうと、言われるのです。最近のわたくしはどちらの言い分にも一部の真実があると思ってます。
わたくしは、研究費を得ようとするときにはいつも正々堂々と「始めの科学」を掲げてやるのだと、言ってきました。しかし、上でもなんども述べたように、一部では新味が無いとか言われるものです。このあたりが、始めの科学を目指すものにとっての研究環境なのです。目指す人達はぜひ知っておいてください。さて、これ前日の話しの続きのつもりなのですが、続きと感じられましたか。