きょうは午前ラボに寄ってから、昼過ぎの便で沖縄へ。台風は本島への影響もなく台湾方向にいってくれたらしい。
ばたばたと短時間ですます仕事をしたり、何人かのメンバーに声をかけたり。実験の進捗状況を聞いたり。院生のうちの何人かはそれぞれに大切な時期に入っている。ちょっとでも声をかけることに意味があるはず。修羅場というと誇張気味だが、院生は一度はそのような経験をして欲しい。すいすい調子よく仕事を続けられるような院生生活などあり得ない。一回や二回はすくなくとも、難しい時期を過ごすのです。ひとりひとり難しさが違うので普遍的な対応策もなければ解決策もない。難局にぶつかる院生を見るとそこで始めて彼等の人間性や個性が見えてきます。
ほとんどの場合、そこでぐっと力を付けるのです。ただ、難局が続く期間に個人差がありすぎる。ほんの数週間で突破するようなケースから、何年もかかってしまう場合もある。わたくしが考える個性というものはだいたいこの期間の若者達とつきあうことから理解したことなのです。
沖縄までの空路は2時間かかりますが、読書用の本はほとんどもちません。考えてみると、ここ2,3年でわたくし自身読書の量がとみに減っています。5年くらい前まではそれでも毎月コンスタントに何冊か読んでいたのに、最近はさっぱりです。本屋に行くことは行くし買ってる本もかなりあるのですが。いわゆる小説系もドキュメンタリー系もエッセー系もどれも読書量が著しく落ちている。減った理由は明確にわかっているので、またそのうち豊穣な読書の時間が持てると思ってるのですが。
考えてみると、子供の頃から何十年も本を読むことが一番の楽しみでした。簡単な子供向けの本を卒業した中学の頃から日本と世界の文学の存在に気がつき、読んでも、読んでも決して減ることのない膨大な面白い本が世の中にあることに気がついたときの驚きは深いものでした。中学の頃は日本、ロシア、フランス文学に耽溺したものでした。高校の頃はいわゆる高踏的になり難解なものを読んでましたが、通俗的な本も大量に読んだはずです。受験勉強の憂さを晴らすのは気軽な本がいちばんでした。一時映画、登山、スキーが読書以上の地位をわたくしの中で持っていた時期がありましたが、やはりいろんなかたちで読書は永続的な趣味であるのに違いありません。
30才から40才の頃、そして研究室を主宰し始めるようになってからは、ストレス発散の意味もあったのでしょうか、推理小説をよく読みました。通勤や短期の出張には推理小説をいつも持っていました。どちらかというと、本格ものが好みでしたか。でもハードボイルド、サスペンスもよく読みました。好きな音楽をかけながら寝転がって推理小説を読むような時間がかなりあったのは何歳くらいまでだったのでしょうか。たぶん研究室のサイズが10人程度まではあったのでしょう。
今日も機中では二人の知り合いの研究者(米国人と英国人)の推薦状を一生懸命書いているうちに終わってしまった。
沖縄のG0 cell unitでは新人の歓迎会と、海外にポスドクでいく旧人?の送別会がありました。和気藹々として楽しかった。二日分の朝食を買って、センターの定宿へ。
帰ってこのブログを書きました。
他にも書きたいことはありますが、やめときましょう。