日本の生命科学の不思議 A mystery in Japanese life science

きょうは妻がやっと東京から帰ってくるので、家事から解放されます。朝起きて、庭の水やり、猫のトイレと食べ物、雨戸の開け閉め、ゴミ出し、朝食準備、洗い物、場合によっては洗濯とその後の整理など、出かけるまでに最低やらねばならぬことが意外に沢山あります。共働きの女性はさぞかし大変だろうなと思うわけです。わたくしはこう見えてかなりきれい好きなので、自分で料理しても食べ始めるときはキッチンはかたづけてきれいになってますので、食べ終われば、皿洗いだけすればいいようになってます。良い包丁を買いたいなと今回は思いました。

さて、難しいですね。真意を伝えるのは。ちょっと疲れました。ここのところ、わたくしの書き方もまずいのか、それとも読者とかみ合わないのか、真意がまったく伝わらないような、感じを持ってます。それでもう一度トライしますか。

わたくしが、個人的に焦燥感を持っているのは次のようなことなのです。

わたくしは、これまでかなり多くの国際誌の編集のメンバーをやってましたが、最近は大学教授もやめたし、出来るだけ早く全面的に撤退したいと個人的には思ってます。しかし、このメンバーに強力に推薦できる研究者が日本では非常に少ないのです。別になにも日本人を推薦する必要も義務もないのですが、ボードメンバーは多くの場合、日本人は非常に少なく、たいていわたくしを入れても一人か二人です。出来たら、と思うのは人情です。しかし、本当に資格を持っている日本人はわたくしのみるところ、数が少ないのです。どうしてなのでしょう。年齢を若い方に下っても、40代前半までいっても、さっぱり候補が増えないのです。なぜでしょう。よく分かりません。若い層に下っていくと、かえって候補者の数が相対的に減ってるような印象すら持ちます。

日本の生命科学関係で優れた論文の数は増えてるのですが、国際誌のボードメンバーになる人が少ない、これは明らかに日本の生命科学の七不思議の一つかも知れません。これはわたくしだけの意見ではありません。NCBの編集長は歴然とした日本好きのかたですが、かれは論文のレフェリーでも適切な日本人を捜すのが非常に難しいといってます。一流紙誌に発表する日本人著者の割合から考えたら、異常なほど日本人レフェリーの割合は低いとは彼の言です。まったくわたくしも同感です。ボードメンバーになるとその傾向はますますひどくなります。

わたくしとしては、たぶん落ち着かない気持ちのままボードを辞任することになるのだとおもいます。たぶん、後任は世界的なバランスから、海外在住の中国や韓国出身のような人達になってしまう可能性が高いでしょう。しかたがありません。わたくしも、正直な人間ですので、自分で納得しないで推薦はできません。ただ、海外の有力者が推薦してくれたら良いので、極力日本人の論客(こういう表現が適切かどうか分かりませんが、ともあれ常に自分の意見を明確に色々な研究について述べている人がボードメンバーの最低限の必須条件でしょう)を話題にはしょうとしてるのですが。それともう一つ、研究コミュニティーのために、つまり自分の研究でない他の人達の研究のことを色々考えたり、議論したり、それに相当の時間を割く気持ち(willingな)があることも必須な条件です。さらにいえば発展中の研究の価値の本質を見抜けるひとで、さらに研究の話しをしたら、面白い人であることがのぞましいですね。さらにさらに贅沢を言えば、激しい議論、厳しい議論、柔らかい議論、じっくり他人を説得出来る議論、なんでもこいのオールラウンドの、研究の世界での百戦錬磨であれば素晴らしいのですが。

ある種の人材が日本の生命科学から払底しつつあるという危機感というか焦燥感があるのです。もともとそれほどいなかったのかしれませんが、でも我々は日本の科学は右肩上がりだと思いこんでいたのですね。これが、誤りの根本なのかもしれません。そうだとすると、寂しいですね。
わたくしがこういうことを言いそうな雰囲気がでると、40代50代の教授連はすぐに察知して、わたくしの前から蜘蛛の子を散らすように消えていきますよ。
わたくしのここ数日の発言の多くはこのあたりの感情が背景にあるのです。でもこれもまた誤解されかねないのかもしれません。

ここで若い人に期待するというと、本当に陳腐ですね。自分でもイヤになります。だから、ここで今日はやめておきましょう。

タイトルとURLをコピーしました