きょうも非常に暑いです。昼食の帰り道、横断歩道でしばらく立っていたら、これは体温と同じか1度くらい低いだけかな、と思いました。まあ、毎年のことではありますが。ただ4時頃に激しい夕立があったので、きっと外は過ごしやすくなってるでしょう。
ところで、サッカー2戦とも北朝鮮に負けましたね。負けるべくして負けてるように見えたので、あまり残念という気が起こらなかったです。なかなかスター選手は現れませんね。檜舞台で大技を演じて世間の喝采を得る新人はそう簡単にはあらわれませんか。
メールである方から、払底という言葉はもうほとんど死語的な日本語になってると教示して頂きました。ためしにラボの若者4人に聞いたら、知ってたのは一人だけでした。この方もおっしゃるように四字熟語の多くは今の若い人には通じません。日常会話でよく使うわたくしの話はよく分からないことが多いとは、ラボの若者の素直な発言です。ですから、わたくしもよく四字熟語を言った後で、ところで意味知ってるのかなと、確かめることが多いです。
生命科学に若い優秀な人が来るのかですが、いまもむかしも同じようなものでしょう。T大の理3とかK大の医とか理とか入試難しいし、合格した本人も周りも昔も今もすごく優秀と思いこんでますね。でも20年経ったら、多くの場合、本人もまわりも、がっかりですよね。しかし、いっぽうで、院入試は昔も今も難しいところもあるし、非常に易しいところもある、そういう感じですね。わたくしなんかは、優秀な人もいいけれど、やる気満々の人のほうがずっといいです。
それから、論客って、単にお喋りをするのではないですよ。我々の業界なら、もちろん英語で、国籍の皆違う5,6人を前にして自説を述べる(単なるおしゃべりでなく)ことが出来、なおかつそれを聞いた連中が感心するような人間です。こういう人、なかなか出てこないんです。長丁場の晩飯を議論で明け暮れるって、疲れますしね。日本の他の業界にはたくさんそんな人達が集まっているのなら、わたくしは安心して目をつぶれます。
ところで、いまから24年前に噂の真相なるものをラボのミニコミ誌として創刊しました。これが約10年続いて1990年に廃刊になりました。これをおりおりにすこし紹介しようかなと思いました。初期はかなり下克上のきつい雰囲気です。関係者的にはかなり面白いのですが。ただ、いまとの時世の違いがありすぎるので、1990年の廃刊(とは思ってなかったが、それ以降出ていない)時の記事を今日は、すこし紹介しておきましょう。
そういうことをしようと思った動機はこのころはわたくしが40才から50才になる期間で、そういうラボ内ミニコミ誌の記事から当時のラボの様子をお見せしたいと思ったのです。ただ、記事はほとんどみな手書きなので読みにくく、移すのが大変です。近年のIT革命の偉大さを感じます。
それじゃ。
1990年9月22日
OH君のラボを去るに当たってのあいさつ。
<猫を追って>
猫を追いかけてウロウロしていた僕が構造研に迷い込んだのは、1985年3月。あの頃はうんたら、くんたらーーーと書きたくなってしまいますが、それも年寄りの昔話。定住からもう5年半。5年半といえば長かったんだと観じるけれど、本当にあっという間でした。楽しかったこと、つらかったこと、色々思い出されます。しかし、時が速く過ぎると言うのは、その時代が充実していたということの証拠なんだと思います(思いたい)。
大きな目標もなく、ただノー天気な僕は「エネルギーを何かにぶつけてみたいという肉体的動機で、何も知らずに構造研に入ってきたのでした。そういう意味では、構造研はその対象として、十分過ぎる程でした。
しかし、この5年間で、僕自身なにか成長したのか、ただハゲただけなのか。内心寂しいものがあります。しかし、それ以上に僕は構造研に対して何が出来たのかをかんがえると、大変申し訳なく思います。
<あこがれのスコットランド>
この10月半ばで構造研を去り、スコットランドのD(本文では正式名)大学に旅立ちます。飛行機に乗ったことのない、大阪京都を直径とする半径数10kmの円のなかで27年8か月の人生のうち27年あまりを過ごした僕にとり4万km(ええかげん)も離れた土地に住むことは、普通の人が月へ行くようなものです。そこはロンドンから電車で6時間、エジンバラから1時間半というような所で要するに田舎なようです。日本人がいないのではないかと恐れています。
中略
<最後に>
構造研にいるのもあと一ヶ月を切ったというのに正直言ってここに永遠にいるような錯覚に陥ってしまいます。しかし「もう送別会だね」とか「もう下宿はきまったの」とかいう某Tさんのうれしそうな顔をみるにつけ、「早く去らねば」と決意を新たにする次第です。
最後に気の利いたひと言を残せればよいのですが、恥ずかしながらそれも浮かんで来ずじまい。
構造研の皆様には迷惑をかけ、また助けてもらいました。心から思います。本当にありがとうございました。OH
OH君はいまはラボヘッドとなって大いに活躍してます。ずいぶん謙遜してかいてますが、院生時代に有名なC誌に筆頭著者で2報ありますし、院生時代彼が参加した論文はすべてみな長生きのものになってます。
もう一つ短い記事を紹介しましょう。誰が書いたのかわかりません。
<僕の修論(修士論文のこと)の原稿に対するY教授のコメントより抜粋。あいかわらずです。
文章のレベルが並の高校2年の夏休みの自由研究の報告程度。
低級な、女子中学生レベルの文章
木を見て森をみない構成
唯我独尊 >
(わたくしの手書きのコメントをそのままコピーしてあるのが、芸が細かい)。
なぜ中学生でなく、女子中学生なのかしかもそれが低級なのかは、その指摘した文章部分をみないと分かりません。これらは、修論全体のコメントでなく、個々の文に対するコメントのはずなのですが、それを逆手にとって、なおかつ「あいかわらずです」と読者にわたくしのひどさ加減をアピール、呼びかけてしめくくるところは、わたくしには反抗的に見えますが、酷評されても、へこたれないところが、なかなかにくいです。