きようはラボに出ないで、静養というと良さそうなのですが、実際にはTY君の論文のテキストを全体的にしっかりと考えたいと思い、それで家に居てやりました。赤ちゃんも外出なのでひじょうに静か。ただ、暑いです。風通しがよくても、風もかなり高温なので午後になると、ちょっとはかどりが悪くなりました。results sectionの終わりに近づくにつれ、難しくなってきましたので。しかし、エアコンは付けずに頑張る。
お隣の新築の家が、今日は外壁の吹きつけの日で、工事の人達、暑いだろうなあと遠くから時折ながめていました。お隣は、毎日住まれるとか。先生で退職されての移住と聞きました。
一昨日、ラボ内ミニコミ誌「噂の真相」1990年9月号でのOH君の挨拶記事をのせましたが、この同じ号に後輩院生がOH君を送る言葉を書いてます。誰が書いたのか、いまは分からないのですが、読むと15年前とはいえ、今の院生の真情とあまり変わらない印象を持ちました。それじゃ、下に掲げます。
OHさんについて(本文はすべて本名で)
<OHさんはお母さんおもい> よく電話がOHさんにかかってきます。いつも特定の女性の方が声から判断してけっこうお年の方でたぶんOHさんのお母さんでしょう。この前電話でしゃべっているのを自然に聞いてしまったのですが、OHさんが最後に「お母ちゃんも体にきーつけてな」といったので、ぼくは思わず涙がでそうになりました。
<OHさんはうそつき> 前にOHさんはぼくに「ぼくー英語全然できへんからなー。ほんと信じられんぐらいできん」といっていたので僕も安心しきっていたのに、仕事のセミナーの時みんなが英語で質問するのを信じられんぐらい理解していた。ぼくはかなりショックを受けた。
<OHさんは怒られたがっている> 前にOHさんといっしょに帰った時に柳田先生の話になって「柳田さんはむちゃくちゃなこというておこるけどよく考えてみるとけっこうあたってるんやー。全部とはいわんけど、そして実験が進めば進むほど、柳田さんに接するチャンスも多くなるし、よー怒られるようになるンやー。そやからおこられるほうがええんやー」。そういえばOHさんはよくおこられていたなー。「O、おまえどうこうがひらききっとるなー」。
<OHさんはスマート> OHさんの歩き方はすごく紳士的だとおもう。Nさんも「うちの研究室で一番紳士的なんちゃう」とほめていた。とにかくうでがきちんとふれていて背筋がピンとはっている。競歩の選手かと思った。
<心に残るOHさんのひと言、失敗の道> 以前OHさんのいわれたとおり実験しなかったことがあった。そしたらOHさんがすごくおこって「そんなことやってると失敗の道を歩むようになるんやー。」といわれたが今でもそしてたぶんこれからも失敗するとこの言葉が脳裏をよぎり恐怖の深淵に僕をたたきこむ。すごくこわい言葉だ。たぶん一生忘れないだろう。
<最後にーーー> わたくしの生涯の中ですごく影響を与えた人の一人がOHさんだと確信しています。そういう意味においてもOHさんには外国でもがんばってもらいたいです。
わたくしのラボでは、新入生の実験は上級生や教員が傍について、かなり懇切丁寧におしえて実地訓練するので、ラボ内にそういう緊密な人間関係ができるしくみがあります。テーマ的にはかならずしも一緒とはかぎらず、なんとなく気性の合いそうな院生同士にペアーを組んで貰うことが多いのですが、かれらは学位を取って研究室を出てもつきあいがあるようです。
OH君については沢山のエピソードがあるのですが、一つだけ紹介しましょう。ある時理学の動物生態系のある教授のかたとたまたま食堂であって雑談をしていました。彼が何年か前に、生態で10年に一人という逸材の学生が来たので、すごく喜んでこれでしばらくは安心だなとおもったそうです。そうしたら、大学院入試の頃になったら、生態学は疲れないので、もっと疲れそうな生物物理学に行きたいという、名文句をはいて逃げられてしまった、とのことでした。その学生さん、猫がおしっこするのを知恩寺と吉田寮で記録したのじゃないと聞くと、そうですとのことでした。わたくしは、申し訳ないような気でいっぱいになりました。そのときはOH君は海外に出た後なので、怒る回数を減らすことも出来ませんでした。
この教授の方は米国大学の調査旅行で学生と一緒に乗った船が沈没してお亡くなりになった先生方の一人でした。本当に惜しい方を失いました。いまもこれを書いてるうちに、OH君が来なかったことを心から惜しんでいた、その先生の真剣な顔をおもいだして肅然としました。