無事終わりました。研究報告会。
でも疲れました。ちょっと、年かなとも思いたくなるような疲れ方ですが、その理由は2日間、目の覚めるようなデータをひっさげた人がいなかったことのように思えました。残念。いれば疲れはとびますしね。しかし、大抵はこんなものです。ほんとのところ、かなりの善戦といえるデータはいくつもありました。でも本人が有頂天になるようなデータを見ることは出来ませんでした。この二日間。
「魂の旅」をしたがる若者には、そのレベルの悩みなら、いいデータを出せば問題なくなりますよといわねばならぬし、成長はまあまあ遂げてるものの、どうもラボ内での研究面での「社交性の欠如」が顕著だったりすれば、そこを直さねば進歩が遅くなってどうしようもないですよ、といわねばならぬし、すぐ仕事の先が見えてしまうタイプの優秀さの若者には、それじゃ面白い仕事は自ら成し遂げられませんよと。
詳しく書くわけにはいきませんが、わたくしのような「古狸」にははがゆいことばかりが多いのです。あそこさえ、直れば、あの一点を本人が気がついて直すことが可能ならば、非常に進歩するのに。
でもそれができないのが、人間なのですね。個性が進歩を阻む場合は、かなり多いのですね。残念ながら。
わたくしも、20代なかばでの、カルチャーショックのまっただ中では、毎日自分の人間性改造を呪文のように唱えた時代がありましたね。そのあたりの若者の不安定性につけこむ怪しげな商売がいまの世の中には色々あることもうなずけます。
さて、研究とは乾いた世界のような出来事なのに、実はかなりウエットで、とても人間くさいものですね。そのウエットの部分に首をつっこむとろくなことがない、というのが長年のわたくしの経験からえた教訓なのです。それゆえ、わたくしはあたらしいデータにスティックして、それを用いて科学を論じることが一番好きなのです。ともあれ、データを見れば、それがどの程度苦労して得たものかは、かなり分かる方だと思います。
普通にやってれば、若者は間違いなく成長していくのですが、どう成長するかは分かりません。
本人自身が、自分の成長ぶりに面白がってくれればいちばんいいのですが、そういう余裕の若者は滅多におりません。ある程度、挫折体験を繰り返した若者だけが、そういうおもしろがりをしてくれます。
だから若者にはぜひ良質の挫折体験をしてほしいもものです。わたくしの知る限り、えらいひとはみな良質の挫折体験をしてます。
だから、いい科学者になるにはどう挫折したかが、問題になるのですね。