専門でないから  Not my speciality

昼時、きのう出来たばかりの中華料理店に行きました。うーん、ちょっと客あしらいが、かなりまだ未熟かな。それに畳と座卓が店の相当スペースを占めるので、この界隈ではちょっと人気が出にくいような気もしました。この辺りの食べ物商売はほんとにシビアなのです。しかし、値段が安いので、それに味も値段を考えればしかたないかもしれない範囲なので、やっていけるかどうかのボーダーにあると判定しました。ただし、3人で行って、日替わりのBとCという定番を頼んだのに、BとCの出てくる間隔が10分近くあり、これが恒常的に起こるのなら、論外ですが。

ところで、学会や、あちこちの学者さんの会話(特に医学系で)のなかで、枕言葉のように「わたくしの専門ではないのですが」、といって聞かなくてもいいようなつまらない質問をする人が多いですね。その人の、専門での質問なら格段に面白くてシャープな質問をするのかどうか、ほんとに聞いてみたいものです。

「専門でないから」というのは、わたくしにとって、いちばん耳障りないいわけ言葉です。自分でも極力いわないように気をつけてるのですが。言ってしまうことあるでしょうね。

そんな言葉を、きょう思い出したのは、TY君の論文はある意味で、Middle of scienceの権化みたいなもので、トピック的に近い論文が沢山有名ジャーナルにこの1、2年で出ています。その点、最近でたばかりのTK君のとは非常に違います。TK君のでは新味のあるデータは最初から歴然としてるのですが、そこから生まれる話が多くの聴衆を獲得できるだけ面白いとedior, reviewersに判断されるかどうかが問題だったのです。
TY君の論文では、研究題目の類似した論文がかなりあるので、それらのどれとも違う新しい結論が確かに出たのですよ、としっかり上手にアナウンスする必要があります。しかし、そのためには、これらの関係論文を沢山きちんと読み込まないと行けません。
それで、この何日間そういうことをしてるのですが、自分の専門中の専門に近いはずなのに、目の前でその研究の話も去年とか何年か前に聞いたはずなのに、詳しく今回論文を読んでみると、随分気がつかなかったことや、ぜんぜん知らなかったことも書いてあり、うーん、そうかそういうつもりで彼(彼女)は言っていたのかなどと、専門のことも十分わかってないな、などとこの年になって、まだそんな感想を持つ次第です。実際のところ、この何年間かの、このトピックスの分野の「歴史」を自分なりに整理、提示して、その上で我々の発見はこういう知識を付加して、この分野はこれだけ、概念的に進んだのだと言わなくてはいけません。下手に言えば、同業者に馬鹿にされるし、怒られもするし、難しいものです。
わたくしの知っている某大先生は、いつも同じ言葉で、「きみ、そんなもの細かい話だよ」、と一刀両断です。でも、その細かい話が大半の専門家の飯のたねなのですから、そう言われても困るのです。実はその大先生も、ご自身のご研究になると、非常に細かい話で、興奮していろいろ言ってるの何度も目撃しています。
わたくしも、この論文をどこかに通すまでは、この厄介でややこしくて、細かくて、でも面白いトピックスを考え続ける必要があります。

本当のところ、これじゃ、ほんとに、よくわかっている専門の知識は自分がやった研究しかないじゃないかなどと、自分で自分にまぜっ返したくなります。しかも、そのうち自分でやったことすらも、だんだん正しく把握できなくなる恐れもあるのです。怖いはなしです。
やはり、自分にはMiddle of scienceは向かないな、とおもいつつも、この研究は個人的には非常に面白くやってきたので(TY君もそのはずですが)、論文を読んだ人にもそう思ってもらうにはどうしたらいいのだろうか、まだまだ悩む日々が続きそうです。

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