わたくしにとっては、翌日に書いてるのですが、日本時間では同日になるようです。
ヨーロッパの人達の心の支えはやはり余裕なのでしょう。むかし、日本人はウサギ小屋に住んでるなどといわれたこともあるようですが、日本の経済がどんんなに急成長しようと、その程度の生活しかできてないじゃないか、と当時いいたかったのでしょう。ちょうどいま時だと、日本人が中国を訪問して似たようなことをいいかねません。日本国内ですら、地方の農村の人たちが東京や大阪の都市にすむひと達をみて、よくこんな狭いところで住んでいられる、というのとあまり変わらないでしょう。実際、空港バスでそうしゃべっていた男性達を見たことがあります。
日本とヨーロッパ、年間収入は名目上は日本はヨーロッパのトップの国とほとんど変わらないかそれより上なのかもしれません。しかし、たとえそうでもヨーロッパの人が日本を旅行したり、住んでも心の奥底で余裕を持っていられるのも、日本人よりは余裕のある生活をしてると思うからでしょう。ヨーロッパの人達は、米国に行っても違った意味で余裕を持っているかもしれません。軍事的にも経済的にもいろんなところでまったく米国にかなわなくても、生活の質はずっと上だという信念のようなものでしょう。例えば、公共的な交通機関のほとんどない大都市が米国には沢山あります。貧富の差も大変厳しい。食べ物の質もかなり低いものがある。当たり前ですが、古くて良いものが沢山ある。
ヨーロッパと米国はいろいろと近い面があるのでしょうが、それでもヨーロッパの人達は、米国へのあこがれは持ちつつも、一種の優越感をもっていられるのでしょう。
彼等は、東アジアについてはさらに社会生活の質について、格段の優越感を持っているはずです。その東アジア観には日本も入っているはずです。なぜそのような感覚をもてるのか、現実や真実とはあまり関係がなく、そう思える信念のようなものでしょう。東アジアでは個人が縛られる、個人の自由が相対的に低い、労働が厳しい、女性が抑圧されている、などなどでしょう。ヨーロッパも人のことなど言えるはずがない沢山の恥部は抱えている(例えば先進国における外国人労働者の低賃金、差別、蔑視など)のですが、余裕とか優越感は常にそういうものをある程度無視することから生まれるものです。
そこで、今回の選挙です。
今回の選挙の細かいことは外国になかなか伝わるはずがありません。
今回の選挙はおもに英国でしか詳しい報道がないようですが、日本が余裕のある国になってきたという印象を始めて外国に与えたのではないでしょうか。
まずこれまで、日本の政治はすべて利権でうごくという印象を強固に外国に与えてました。しかし、今回は「理念」で選挙がたたかわれた。しかも「理念」をしかけた側が「大勝」したという結果になりました。日本人はリーダー次第で、理念で政治を動かせるのか、ということです。
ここで大切なことは小泉首相がどこをたたいても利権的なスキャンダルがまったく出てこない(すくなくともこれまでは)ことです。外国メディアは「奇跡的」と表現しています。今回の選挙は日本人がヨーロッパでも民主主義が一番進んでる国とあまりかわらない選挙ができることを示した点で画期的だったとわたくしはおもっています。利権だけでうごく政治をする国の民は決して尊敬されません。国と国とのつきあいはこういうところから、質的に変わってくるのだと思います。ヨーロッパの人達が日本人を見る目が変わってくるのだとおもいます。
だからといって、別に喜ぶことまったくありません。日本人が今回の選挙で急に変わったわけではありません。
そう言うわけで、今回の選挙はヨーロッパの人達に日本人は余裕がある、尊敬にあたいする国政選挙ができるという印象をあたえたのではないか、とひとことわたくしは言いたかったのです。
さて、そのような民意は示されたのですが、この賢明なる民意の発露を余裕のない国内マスメディアが台無しにしてしまわないことを祈っております。また民主党が今回のことを契機に明解な対立軸となる理念を十分に説明できるリーダーを持った政党に変わって欲しいと思うのです。