どうもわたくしが今使っているインターネット環境ではメールの受け取りができるのですが、発信ができないのです。どうやってもできないのであきらめました。わたくしにメールを送っている人でこのブログを読んでる人たち、返事が無いのはそう言うわけなので、どうぞあしからず。
今回の旅行にでる二日前にA博士からメールがありました。2003年にS誌に出した論文と今年にN誌にだした二つの論文を撤回したい、旨のメールがありました。
基本的な結論をサポートする実験の追試ができないので論文での結論をすべて撤回するというものでした。ただ、両方の論文の筆頭著者は撤回に賛成してないので、S、N誌への撤回アナウンスメントには筆頭著者は入ってないということでした。
S、N誌という著名誌での事態ですから、インパクトは非常に大きく、今回の旅行中にはなんどもなんどもこの件が話題になりました。意見の分布は広いのですが、筆頭著者が認めてないので、議論はいつもあいまいに終わってしまったのは残念でした。
わたくしには、まだどのようなデータの捏造がおきたのか、把握してません。A博士ほどの秀才の目をかいくぐり、なおかつ厳しいはずのレビューアー数人をあっさり説得してしまったのはいったいどのような経過なのかよく分かりません。
ただ、旅行中に以下のようなことが分かりました。
2003年の論文についてはすくなくとも二人の研究者が、結論とうまくあわない実験結果をもつにいたって、ひとりはメールでおかしいではないかと、質問をしていること、もうひとりは自分の論文のなかで2003年の論文の結論を支持できない結果があることを明記していたことでした。そうなると、2005年の続報はこのあたりをどのように踏まえたものだったのか。2005年の論文が出てからは多数の研究者が追試関係の実験をしたい旨の依頼をしたが、受け取ったものがまったく別物であることが判明してきたとのことでした。
すこし時間がたたねば詳細は分かりません。
捏造と100%確定したわけではありませんが、わたくしは捏造をする行為に非常な怒りを感じざるをえません。このことに激しい怒りを感じなければ、科学者としてやっていけないだろうとおもいます。一方で研究室主宰者(PI)の責任の重さをあらためて感じざるをえません。しかし、その責任の重さをかんじても、どこでどう具体的に責任をかんじるべきなのか、それを指摘できないのが残念です。捏造は科学における犯罪であることはまちがいありませんが、警察力が及ぶわけではありませんから、なにがおきたのか具体的に強制力をもって知ることもできません。証拠を隠すことも容易です。
このことの起きた同じ国での話しですが、この旅行中に、ある研究組織では、実験ノートのすべてのページにナンバーが打たれ、各ページに責任研究者のサインをすることにこれからなると聞きました。企業研究所などでは昔からあったことですが、大学などではあまり聞いたことがありませんでした。
捏造問題はいまや危機的状況と意識されてきたのでしょう。科学者は牧歌的な時代の夢から完全に覚めなければいけないのかもしれません。