東京での沖縄

何か新しいものが生まれる時、その現場にいてもなかなかそれを実感するのは難しいものだ、ということを年の功で知っています。実感するには、それなりに人物としての器量が必要なのでしょう。それだけでなく、直観か経験かどちらかが並よりはるかに卓越してないといけないようです。
先の事はわからない、ということと、新しいことには必ず古いものが沢山混じってます。案外その古さばかりが見えてしまって、真の新しさが見えにくいのですね。でもその混沌とした新しさと古さのカオスを通過しなければ、新しいものは確立しないのでしょう。
ですから、新しいものが生まれつつある現場にいても、何も感じないとか、今までと同じ古いものばかりじゃないかとか、評価はなかなかすぐにはついてこないものです。新しすぎて、世間がぜんぜんついてこないとか、新しさに自ら自信を持てずに続けられないとか、あたらしいものの萌芽がつぶれやすいのはよく分かります。

坂口安吾が松本清張の芥川賞デビュー作(ある小倉日記伝とかいいましたっけ)を読んで、作品のみならずこの新人の力量を激賞した、と聞いてます。清張の新しさをその時点で見抜いて10年先、20年先を予告したと言います。

昨日、午前は沖縄の研究代表者会議、夕刻から独立法人沖縄科学技術研究基盤整備機構という、じゅげむのような名前の新組織のオープニングパーティがありました。わたくしはその法人が推進している大学院大学先行研究プロジェクトの研究代表者という仕事をやってています。4年後に実際の大学院大学が出来るときには、この法人もプロジェクトもなくなるのでしょう。
午前の会議はこの組織が発足して始めての研究者の会議で意味深いものでした。パーティも東京的に大盛況で、東京での沖縄を強く実感しました。

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