土曜日の解放感

子供の頃、土曜日は特別な日でした。お昼で学校が終わった後、暗くなるまでどのようにして遊ぶか考えるだけで、それが土曜日の楽しみの始まりでした。小学校の4年か5年の頃には、練馬の駅から中野の駅までバスに乗って、理科教室にいったことがありました。これも土曜日だったのでしょう。塾も無し、家庭教師もなし、ファミコンもなしの時代の子供にとって土曜の午後は、格別な解放感をもたらしたものでした。
後年、研究者としてあくせく働きだしてからも、自前の研究グループをもつまでは、やはり土曜は時間が余った感じになって、本を買いにいったり、映画などを見るような余裕があったものでした。そのような余裕が無くなったのはたぶん、研究費を稼ぐのが目的なのか、研究をするのが目的なのか、外見からは区別がつきにくい状況になってからでした。
いま、思い出そうとしているのですが、土曜の午後に三条河原町に面した建物の2階まで囲碁を習いに行ってる時期がありました。二番くらいうって、講評を受けてました。20年以上は確実に前のことなので、そういうまだ余裕のある時期が40代前半まではあったのかもしれません。
いまはどうかと言えば、土曜はやはり特別に日になってきました。電話や仕事場での仕事から解放されて、デスクにむかっていろいろ考えたり、データを吟味したり、そういうわたくしにとってなんとか創造性を維持できる貴重な日と感じるようになりました。もちろん畑仕事も土曜日にやるので、一日が短すぎると感じることがしばしばあります。
一年間に50数日しかない土曜なのですから、大切にしたいものです。
ですから、大抵の会議の通知には開催が土曜とあれば欠席としてます。よくよくの必要性を感じた、例外でなければ、出席しません。
今回の沖縄での会議もきょう土曜の朝9時から2時間半ありましたが、そういう例外的なできごとでした。

会議が終わった後、頭を空っぽにして空港までの車の座席で座ってましたが、やはり平素とことなりほとんど意味のある思考は生まれてきませんでした。会議後の疲労に頭脳が浸かっていたからでしょうか。

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