中心ドグマ

昨日の続きです。

生き物というのはそんな簡単なものじゃないよ、そんな生物のことなどなにも知らない人達がいってることなどそのうち破綻しますよ。
そんな大腸菌でわかったことが高等な動物や植物に適用されるはずないですよ。こういうことを言われ続けていたのが、初期の分子生物学者たちでした。
遺伝子のことなどいくらやってみたって、しょせんがんのことなど分かるはずがないですよ。この不治の病はものすごく複雑だし、多様だし、そういう難しい病気が遺伝子のひとつや二つ調べて分かるはずもないし、そんなことやったって表面の薄っぺらなことが分かるだけで、しょせんがんは理解も出来ないし治療もできませんよ、これががんの遺伝子研究をこころざした初期の研究者に対しての反応でした。

分子生物学者のおおくは動物や植物の名前も知らないし、子供の頃に生き物と特に親しく接したわけでもなければ、医学の世界にいっても臨床的なことにもあまり興味をもたないし、またそもそも医学教育すら受けてない人達が多いのですね。

こういう本当の複雑さをしらない奥深さをあまり畏敬しない、薄っぺらな知識しか持たない人達がなぜ成功したのか。それは、やはりドグマを持ったからなのですね。
それが昨日のべた、きめつけでした。
分子生物学の中心ドグマは細菌で実験的に示されたのですが、最初から分子生物学者はこれがヒトでも同じことがあるに違いないと、決めつけていました。
無知とかおそれを知らないとか、批判者はいうでしょうが、そういうことでいいのでしょう。
わたくしは学生の頃、関連した遺伝子がゲノム上でかたまり、クラスターを作っていると学んだので、真核生物では遺伝子がばらばらなんのルールもなく並んでいるので驚きました。しかしいまなら、逆で若い学生達は細菌にはオペロンというのがあって、似た機能のものが一括制御されているのを学んで驚くかもしれません。
遺伝子がイントロンを大量にもっているのに大腸菌がイントロンを持たないので驚くかもしれません。真理とは無関係に、学習の順序で驚いたり驚かなかったりするものです。この程度の違いはあるけれど、中心ドグマはまあ正しかったわけです。しかし、もちろん奥深さ、複雑さは研究の過程でいやというほど分かってきたわけです。

それで結局はドグマに匹敵するほどのものをもって研究するのがいいに違いありません。
ところが、いまの爛熟した部分も相当出てきた、生命科学では、遺伝子周辺の研究をするのが成功の近道という、ハウツー的な考え以外に、だれもが認める中心ドグマがないのかもしれません。

しかし、やはり分子生物の伝統からもなにか、中心ドグマ的なものを持って研究するのが、流儀なのでしょう。わたくしも自分なりのものを実は持っています。いつかは開陳せねばならぬとは思っていますが。

ところで例の「下流社会」ベストセラー本、ラボメンバーに読め読めと言ってます。
この本の決めつけ方が、分子生物学の手法に似ています。
社会科学系の本で始めて、われわれのやっていることと、どこか通ずる手法で切り口を作っているのを見て、面白いと思いました。案の定、この決めつけ方に不快感を感じている人達も相当いるようです。
しかし、面白いことはまちがいないですし、この本をネタにそうとう議論できるはずです。それで、読め読めと言ってるのですが。なかなか読んでくれません。

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