JR西日本の転覆事故の直後にJRの責任者が出てきて、まるでこの事故の被害者かのような説明をしているのを聞いたときに、信楽での悲惨な大事故はまったっくJR西日本の体質になんらの責任感も、反省心も植え付けなかったのだな、ということを感じて、その感想を第一期ブログに書いたことがありました。
こんかいの建築強度設計偽装を直接に手をくだした、加害者というか、犯罪被疑者というかどういう表現をしたらいいのか分かりませんが、姉歯というひとが新聞記者に囲まれて、訝しそうな顔をしていたのが非常に印象的でした。
自分は、悪いことをしてない、もしくは他にも似たようなことをやっている人達がいるのに、というかそれとも自分よりはるかに偉い人から、やれといわれたから、素直にやったまでなのに、なんでこういうことになってしまったのか、という表情に見えました。すくなくとも、未必の殺人的行為だと非難されるようなことを自分がしていたのが、発覚したと認識していたら、逃げも隠れもするでしょう。そうでないということは、やっていることが日常的だったことなのでしょうか。しかもそれが、白日にさらされたら、建築関係者がいちばんやってはいけないことをやっていたことが明白になってしまったのです。
やはり神戸の大震災の時に、徹底的に不正工事をあばき、関係者をきっちり罰しなければいけなかったのだと思いました。また被害者をしっかり救済しておけばよかったのに違いありません。だれでも人間は、前例に基づいて行動する傾向がありますから。あの時には、しかたのない倒壊とあきらかな手抜きというか偽装工事のために倒れたものが多数混在していたことは間違いありません。そのごく一部の事例がコンクリートの水増し薄めとか聞いています。しかし、それだけでも甚大な被害が出たのではないでしょうか。
あの時はマスコミも行政も建築、土木関係者への責任追及は極めて甘く、また行政の責任もほとんどなにも問われなかったし、地震被害者はかなりの期間にわたって、政治的にも行政的にもうち捨てられていたのではないでしょうか。役人は前例主義で動きますから、この時の建築業者への甘い対応と被害者への厳しい対応が、今回も無自覚的に踏襲されているにちがいありません。
ただ、マスコミが集中する都心での出来事なので、批判も高まりやすいので、今回はかなりの救済手段が講じられるかもしれません。それはそれでいいのでしょう。しかし、一方で、これが氷山の一角だったら、今後どうなるのでしょう。補償ひとつとっても、かかる経費も問題ですが、かかる時間とエネルギーの大きさを考えたらゾッとします。
やはり、最初問題が現れた時にきちんと責任の所在を明確にして、責任を持つ人は相当の責任をもつべきだし、関係者の業界からの永久追放も必要でしょう。そうでなければ、人の命を預かる、建築、土木の人達の倫理観が問われるでしょう。
ひるがえって、わたくしのかかわる生命科学でのデータ捏造です。なんら罰せられなく、のうのうとした日々を送っている人物がいてはいけないことは間違いないでしょう。わたくしが、かつてある程度関わった捏造事件では、結局うやむやになってしまいました。うやむやの原因は、捏造が深く疑われた人物の直接の上司が徹底的にかばったことによるものでした。ずいぶん、昔のことですが、いまでもわたくしは非常に残念に思ってます。科学の意義とは真っ正面から反する、よろしくない体質の温存が起こるからです。それにこの時のできごとが、いまおきていることの先駆的なものであったとおわたくしには思えるのです。
阪大医学部の捏造事件、東大工学部の連続論文捏造事件、の調査と対応はどうなっているのでしょうか。なにも聞こえてこないわけではないのですが、公表されたことはその後は何もありません。
関係者が集まって、甘い対応をしてしまったら、禍根を深く残すことは間違いありません。社会がわれわれをどう見るのか、関係者のあいだでのかばい合いくらい、悪質なものはないというのが世間の常識ではないでしょうか。建築土木関係者の「談合」はいまや普遍語になったらしいですが、研究の世界でも類似のことがおきやすい体質が確かにあります。
真理がすぐ見えないからと言って、うやむやにしてしまえば、そこにおいて真の研究者精神は死んでしまいます。