便利でも危険が内蔵されるもの

わたくしの知る範囲で、戦後の企業の創業者で尊敬されるべき人達で、最初に思い浮かぶのはホンダの本田宗一郎氏です。
このかたの有名な言葉は、起業家として最大の失敗は自分の苗字を会社名につけたことであるといわれてます。
また、自分が愛してやまなかった二輪車で沢山の若者が交通事故で亡くなったことを本気になって、悲しみ悩んだとも聞いてます。
これら二つの言葉には、考えるべきものが含まれているとおもいます。企業が私物でないこと、自分が生涯をかけて邁進したエンジン作りの成果が、結果として多くの若者の死の原因となってしまう。
人物的に不世出の方だとおもいます。わたくしはものを作って売る行為の「業」のようなものをたぶんもっとも深く考えた方ではないかとも思うのです。

つまり、便利なものにはいろいろな危険が内蔵されているということです。需要が高まれば高まるほど、その危険さは顕在するはずです。
わたくしは、子供の頃に新聞や雑誌などで、本田社長はけしからん、こういう暴走族のようなものを生みだした張本人だと、書いてあったのを思い出します。また、死んだ息子を嘆き悲しむ母親が、本田社長、責任をとれと叫んでいる写真を見たことも憶えてます。
どんな便利なものにもいろいろな危険が内蔵されています。
引きこもり、という人達が全国規模で多数いることが知られています。このようなひとたちが、ファミコンとか、ゲーム機の販売から急速に増えたことは間違いありません。子供が子供部屋にいつまでも引き込んでおられるのは、そんなところにいても退屈しないからに違いありません。コンピュータゲームは面白くて楽しいかもしれませんが、そのようなものが家庭に入り込む以前にはひきこもり族はほとんどいなかったことも確かです。
わたくしは実をいうとソニーの製品はわりあい好きでしたが、この会社が臆面もなくプレーステーションなるものを大宣伝始めてからは、ソニー製品はまったく買わなくなりまし。創業者の井深大氏は、このようなゲーム機の売上高で社運が決まってしまういまの現状を見たらなんというでしょうか。
しかし、だれもゲーム機販売会社を非難する人達はいないようです。子供が使う時間を制限させても、大元を絶つことを目的とする人達はまだいないようです。

携帯電話については、わたくしはあまりいいたくありません。この便利なもののもつ、問題点はあまりにありすぎてたいへんです。電話料を誰がどうして払ってるのか、これだけに絞ってもいろんな問題があるでしょう。さらに。また顕在化してない問題は沢山あるでしょう。
しかし、便利なことではいまのところ、これより上のものはありません。
こういう便利なものを作った人達が誰だったのか、知ってますか?
わたくしは知りません。また知りたいとも思いません。沢山の人の知恵や発明が沢山詰まってるのでしょう。
わたくし、かつて、まだ郵政省といった頃のこと、携帯電話もほとんどの人が持ってない時代、そこが主催の会議に呼ばれたことがありました。テーマは「フットワーク社会からネットワーク社会へ」ということで、どんなに素晴らしい社会へ転換するのか、それを検証したいとかいう趣旨でした。なかなか先見の明のある趣旨でしたが。
わたくしはその会議参加者のなかでひとりとんちんかんなことを発言して司会者を辟易させたのではないかと思います。つまり、いま(当時)をフットワーク社会ともおもってないし、これからネットワーク社会とかになっても、それが社会の進歩ともおもえない。ただ非常に便利になることは間違いないでしょう。技術者が自動車社会とかテレビ社会とかいうのは勝手だけれども、人々はこれまで、目の前にある便利なものをそれほど深く考えずに使ってきて、別にそういう社会になりたいと思ってやってるわけではない。社会とかつけるのは、おもいあがりでしょう、とかいう趣旨でした。
でもどうでしょう、いま多くの人はネットワーク社会といっても違和感ないのでしょうね。しかし、わたくしには、違和感が強くあるので、決してそういうことはいわないようにしています。
わたくしには、なんとか社会という言葉はこうあってほしいと願望する、社会状況にとっておきたい言葉なのです。

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