わたくしは,戦前生まれです。というのは昭和16年4月の生まれで,日本が宣戦をしたのがそれから8ヶ月後ですから、生まれた時にはまだ世の中は大戦争をしてないのですからまだまだのんびりしてる面もあったはずです。東京練馬区の江古田駅のそばの産院で生まれたようです。
もちろん戦争が始まった時を憶えてるはずもないのですが,自分の記憶の始まりは,空襲の後の家周辺の光景とか防空壕に入り込むときの窮屈なかんじか,前に書いたように疎開してB29爆撃機を怖がって一目散に田舎の大きな防空壕に逃げ込んでからかわれたとか、すべて戦争がらみです。しかし,怖いということ以外に特に記憶はありません。ああ、いま一つ思い出しました。疎開に行くのに,たぶん親族のだれかが田舎から出てきたのでしょうが,ついていくのに,靴ひもがうまく結べなくて、おいていかれてしまうのではないかと、泣いた記憶があります。それから、帽子が非常に好きでその帽子をかぶって失わないように必死になった記憶があります。たぶん汽車とかそういう乗り物に乗った時の経験が記憶に残ってるのでしょう。親も必死でしたが,子供もそれなりに必死の時代だったのに違いありません。
わたくしの同年齢の友人の経験などに比べれば,こういう経験はほとんど牧歌的ともいえます。終戦後,大連から釜山まで母親、兄弟と歩いた話を聞いたこともあります。同じ東京でも大空襲の後の大火災のなかを何時間も逃げまとって,恐ろしい光景を見た同い年の子供たちもたくさん居ました。
こんなことを書いたのは,なにかのおりに若い人と話していて,アジアの若者たちに日本人は戦争中にひどいことをしたと言われた時にどうするか,聞かれたことを思い出したからです。わたくしの返事は、あなた方が謝る必要はないでしょう、というものです。ただ、真摯に彼らの言うことを聞こうという態度を示す必要はあるでしょう。たとえ、謝れと言われても謝る必要はないし、謝る理由もないでしょう。若い世代にそういう責任もないし、義務もないでしょう。ただ、相手のいうことをしっかり耳を傾けて聞き感想があればあなたの意見を言えばいいのではないか,ということです。国としては謝罪をしてるという事実はもちろんあります。だからといって,日本の若者がアジアで卑屈になることはまったくないでしょう。ただ,もちろん,謝る必要も義務もないと言ってるのでして,個人として謝りたいのをわたくしとしては止める必要もないし、それで気持ちがすっきりするのなら,それはそれでいいでしょう。
たとえば、わたくしがアメリカの友人と二人で,原爆記念館に出かけて、そのときにそのアメリカの友人が無言で深刻な顔をしていても、わたくしに謝りたそうな顔をしようと、また原爆投下の必要性を主張しようと、それはその一人一人の個性と言うか考えにもとずくので,どのような態度をとろうとそれはその人の自由だと思ってます。それぞに応じてわたくしの対応も変わるだろうとおもいます。でも,間違いなく,センシティブではありますが,かなり意義のある話あいができるとおもいます。
はっきりしていることは,個人は国と無関係ではないのですが、60年も前のことに責任を持てと言われたら,どうにもならないのですね。ただ、いま起きていることについて,日本の若者も何ほどかの関わりを持っていることになりますね。しかし,いまの日本は世界的には国連の分担金でも環境問題にたいしても模範生みたいな国なので,他国からごちゃごちゃ言われることはほとんどないはずです。胸を張りすぎてはいけないでしょうが,これだけの経済力と言論の自由,民主的な国家運営、平和な国の状態,大まかに見れば,現在の日本について、外国人(といっても中国系を除けばほとんどないのですが)にひどいことを言われる理由はない、自分の国の成し遂げた素晴らしい成果に誇りをもてるとおもいます。ただ,油断は禁物でしょう。いつなんどき、乱がくるかもしれません。歴史が教えるように,個人は常に国家にもてあそばれる可能性がありますから。