聞きたくない言い分のたれながし

最近はおそろしい殺人事件が多くて、そういう記事はいっぺん見たり読んだりしたら,もう2度と聞かないように努力してます。なぜかというと、最近は殺人者の言い分を垂れ流すかのような報道が多すぎるからです。特にひどかったのが,ペルーから来た幼女殺人犯が弁護士に語った,その日だけ頭に悪魔がやどりついたとかというおぞましい言い分を興奮した弁護士が身振り手振りで説明するのを報道していたのはほんとにいやな感じでした。すぐ後でこの人物が幼女暴行の常習犯でペルーで指名手配されていたのが分かったので,あたかも偶発的、初犯的行為のように,延々弁護士が述べていたのは,ほんとに許せない報道だったとおもいます。
まるで、殺害された被害者になにか落ち度があったかのようにかんじさせてしまいような記事が多すぎます。先日の宇治での同志社大学生による事件も含めて,ほとんどすべての殺人事件でそういう感じを受けます。大事件なので,新聞もテレビも報道スペースがたくさんあるので,まったく不必要な殺人者のいいぶんのような類いのものまで空間を埋めるためにつかうのでしょうか。とくに殺人に至った動機とか経過とか凶器とかを殺人者の供述どおりに書くのは,被害者の家族にとっては,悲嘆のどんぞこにあってなおかつあらたに発生する報道被害ではないのでしょうか。宇治での殺人などもまるで塾の先生とトラブルをおこしたからこうなったのだという類いのトーンの報道はまったくひどいと思います。

殺人者と殺人行為に正常な怒りを持っていたら,こういう記事になるはずがないと感じることがおおいのです。また未成年者が未成年者を殺す事件が頻発してますが,このばあいにも死者と死者の近親者からの言葉がないのをいいことに,殺人者の言い分が垂れ流される傾向がとみにひどいとおもわれます。記事の中には邪推かもしれませんが,未成年殺人者に肩入れでもしているのではないか、と思われる報道もあります。
ほとんどのケース,殺された人達の家族はなにもいえずに悲しみの底に沈んでしまう,ほんとにやりきれないです。

きょうは午後2時から沖縄との合同の研究報告会でした。沖縄グループは朝早い便で関空まで,そこから京都までですから,忙しい一日でした。興味深い報告がたくさん聞けました。

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