わたくしたちが、大学院生の時代はそうじて自分の研究というか将来の研究生活に自信を持てないのでした。
偉いと当時言われていた先生方の大半は、外国の学問的潮流をいち早く日本に導入することにたけた人たちのように見えました。
そのようなときに、素晴らしいお手本を示してくれた先輩がいました。先輩といっても大先輩といってもいいくらいの年齢差がありましたが、そのひととは朝倉昌さんのことで、当時名古屋大学の理学部の助教授でした。青年将校とかのあだなもあって、元気もよくまたメリハリのきいた発言がひとつひとつ若者の心にしみたものでした。当時の名古屋の生物物理グループの総帥の大沢文夫さんとはずいぶん雰囲気がちがい、理論物理学者というよりは職人的な実験科学者という印象を持ったものでした。
朝倉さんはバクテリアの鞭毛タンパク質フラジェリンを重合して鞭毛様構造を形成するのに「種」が必要だということをとてもエレガントに示したものでした。彼の講演を始めて聞いたときには、心と体にしみこむように彼の研究が理解できたものでした。素晴らしいなあ、と心の底から思いました。
朝倉さんは外国での留学経験もなく、名古屋大学理学部という場所だけで学究体験をしたのに、その発表をきけば当時の世界の最先端をいく内容のセンスを示したのでした。日本でも独自で世界を驚かせうる研究ができる、ということを若者に示してくれました。
予想どおり、朝倉さんの研究は大きなインパクトがあり、外国に呼ばれて発表する(当時は希有のことのように思えました)機会も色々あったようです。わたくしは、朝倉さんが英国であったシンポジウムで日本人の聴衆がひとりだけと言う状況で発表を聞き、自分のことのように誇らしく思ったものでした。
朝倉さんの存在は間違いなく、わたくしの研究の一番の励みになった時期がありました。日本人がこういう独自の世界を作り上げられる、ということでした。わたくしに、真似をしたいという気持ちが働いたことは事実ですが、しかしやはり資質も人間性もかなり違うこともあり、研究分野はある時期から相当に離れてしまいました。しかし、わたくしの研究の原点に近いところに、朝倉さんの研究が示したスピリットがあります。
そういうわけで、名古屋大学の理学部の生物学については、わたくしは過去も現在も深い親しみと尊敬の念を持ってみております。外国の学者も名古屋の生物物理かと分子生物ということのなかに、朝倉さんのなし遂げた素晴らしい研究成果が記憶の中に深く組み込まれているはずです。
名古屋では、岡崎令治さん、大沢省三さんのように、独自の世界を切り開いた生物学者が輩出してます。ある意味で、日本が独自の素晴らしい研究世界を生み出せるという自信をつくりあげたことに最も貢献したのが、名古屋大学の生物学者たちだったかもしれません。