きょうはまだまだ雪が周囲に残っているので、雪かきにすこし時間を割いたものの、一日中椅子に座っての仕事でした。不健康だなと、思うのですが、しかたありません。何しろ、仕事の量がとてつもなく多いのです。
でも着実に進んでますから、この仕事の鎖をいつか断って、もう少しましな日々が待っているはずです。
パチンコを社会的に論じている人はたぶん沢山いるのでしょうが、あまりわたくしの目には触れません。
パチンコは健全娯楽と言うことになっているようですが、本当にそうなのでしょうか。どうも規模が大きくなりすぎて、モンスター的なビジネスという感じも受けます。記憶に誤りがなければ、パチンコ売り上げと国内の自動車販売の額がほとんど同じとか。信じられないのですが。どうも本当らしいです。
そうなら、日本人はよほどパチンコが好きなのですね。どうしてそんなに好きなのか、これを解明した人が誰かおられたら、ぜひ教示して頂きたいものです。
それとも、パチンコにはなにか始めたら止められないようななにかがあるのでしょうか。そうとも思えないのは、わたくしも若い頃にやったことがあるのですが、まあ暇つぶしのひとつ程度の認識でした。すくなくとも当時は。
ただ長いこと入ったことがないので、今はどういう機械があって、どういう仕組みになっているのか知りません。やみつき性は高くなったとは聞いてます。
前に鹿児島を旅行して田舎の国道をタクシーで走っていたときに、ものすごい立派な建物があって、あれはなんですか、とタクシーの運転手に聞いたら、あれはパチンコですよ、と教えてくれました。今は、保育所も完備してるので、その気になれば、一日時間をつぶせますよ、と笑って教えてくれました。
わたくしが住む大津市にも国道沿いにパチンコ店が沢山あります。豪華絢爛というほどのビルはありませんが、みすぼらしい建物は一軒もありません。どれも、繁盛しているのでしょう。
沖縄に行くと、一段と頻繁にパチンコ店を見かけます。大きいし、たいへん立派そうに見えます。駐車場もすごい広くて、昼間からびっしりと混んでます。
沖縄にパチンコ店が多い理由として、競馬、競輪、競艇が無いからだと聞きます。そうなのかもしれません。しかし、競馬、競輪、競艇は毎日やってませんが、パチンコ店は毎日朝から晩までやってるので、お金を使う気になればいくらでも使えます。平たく言えば、ギャンブルのひとつですから、お金を失う方向で考えれば、非常に沢山のお金を失います。ギャンブルで生活している人は確かにいるのでしょうが、お金を失う人のほうが圧倒的に多いでしょう。でもまあ楽しめれば、その程度の額なら問題があるとは思えません。でも、いっかいに何万円も勝った、負けたと聞くと、そういうものが、国道沿いにぞろぞろセンターとしてあるというのは、誇りある文化をもつ国にふさわしいとも思えません。
沖縄でのそういうことの情報源はわたくしの場合、もっぱらタクシーの運転手さんなのですが、かれらがいうには家を失った人もいるとか。ある運転手さんが嘆くには、こんな不健康な遊びを日中からながながとやってるようでは、長寿日本一の県からの脱落(男性の場合)も当然だと。
株式投資だって、その気になれば宝くじだってお金を失う点では同じように可能性があるでしょう。だから、パチンコ自体を非難するのは間違いでしょう。いわゆる、自分の判断でやってることですから。ただし、それが非常に多くの人たちが参加して、膨大な金額を消費する、と聞くと、それで何が得られてるのか、その消費されたひとびとの巨大なエネルギーにただただ驚くわけです。もっと簡単に言えば、人気がありすぎるのです。それとも他に楽しみがないのでしょうか。
パチンコは庶民の遊びなのでしょうが、いちど総体としてのパチンコを徹底的に研究した書物を読んでみたいと思います。これが、亡国のゲームになるのか、それとも庶民の健全娯楽なのか。わたくしも考えてみたいものです。
パチンコとはタイプの異なる、安価で楽しめる庶民の娯楽というか楽しみをなんとかみつけることが、いまや国民的課題ではないでしょうか。使われている金額と人々の費やすエネルギーがあまりにも途方もなく大きくなったし、町の中でみる多数のパチンコホールが社会的に何を意味しているのか、真面目に考えていく必要があるとおもうのです。