魅惑の書「科学の未来」とソウル大の報告記事

きょうは前から書きたいとおもっていた、フリーマン・ダイソン著「科学の未来」についてまずひとこと。
昨年暮れに、出版元のみすず書房から送って頂いたのですが、奥付をみると1月10日発行となってますので、きょうあたりにブログで触れるのが丁度よいかなと思いました。
実際には正月休みに読もうと思っていたのですが、ちょっと見たら面白くて通勤の行き帰りに読んでいるうちに暮れのあいだ、3日ほどで読んでしまいました。
ひとことで言うと「魅惑の書」でした。
同時に羨ましい、という羨望の念も持ちました。
この羨望の念は、たとえば白州正子さんが西行を論じているときの、彼女の感じる文化的な安心感は、わたくしの場合、Darwin, Newtonを論じるときにはあり得ないのですね。これが伝統の中で育つのと育たないことの、差なのでしょう。
Freeman Dyson氏はイギリス生まれで長年米国のプリンストン大学で研究する、アングロアメリカン的科学者ですが、やはり色濃くイギリス文化を背景にもっています。JBSホールデーンを論じる時のその親しみ感の深さはまったく羨ましいことです。SF作家のHG・ウェルズについても隣の家の先代のおじいさんくらいの親しみ感で論じているのですね。
これがわたくしが、いつも口惜しくまた羨ましいとおもうのです。
たしかにわたくしだって、松尾芭蕉が奥の細道を旅行しているときの様子を論じる嵐山光三郎さんの筆致にはたいへん親しみを感じます。しかし、わたくしにはダーウィンやニュートンをわがご先祖のようには語れないのです。

それはさておき、この「科学の未来」は内容的にたいへん面白いのです。1998年に刊行されたものの再刊なのだそうですが、むしろ今くらいに読んで丁度よい感じに、未来的でありかつ現代的な警世の書物です。

英国のもつ知的に非常に冒険的でありながら内容的にたいへんプラクティカルなので、首をかしげることなしに最後まで読めました。そして内容的に魅了されました。
そして、英国の良き知的伝統を十分に味わえました。著者はなかなかの芸を持っているので、知的に相当過激なことも言ってるのですが、物議をかもさずにこの本も出版できたのでしょう。
かつて英国の著名な分子生物学者が講演か書物かで人間の赤ちゃんが誕生しても、すぐには出生とみなさないで、しばらく時間をおいてから出生と判断すると、いうようなことが可能な時期がくるのではないか、と過激な優生学的なことをいってしまって、たいへん物議をかもして本人が英国にいることに嫌気がさしてしまったとか、聞いたことがありますが、そんなこともおもいだしました。英国社会はみかけ過激でないようで、実は奥深いところでとてつもなく過激なことをいろいろやっている部分もあるのですね。知的に過激なことをそう感じさせないで提出するわざにも魅了されました。

それで、きょうのソウル発のファン・ウソク教授のニュースです。2004年の論文をサポートするデータはまったくなかったというものです。患者個人のクローン細胞はまったくなかったというのですね。ただ教授はそれらが盗まれたということを主張しているのでこの件では今後韓国検察の捜査が始まるとのことです。英国BBCもトップニュースです。世界中に配信されたビッグニュースなのでしょう。
真相はこれからだんだん分かるのでしょうが、クローン犬は本物だったとの報告です。ただ羊のドリー以来、日本でも牛などでいろいろの動物で成功してることもあり、クローン犬を作る技術があったことは確かですが、それ自体は特筆するようなことではないでしょう。ヒトは改めて出発点に戻って競争が再開するのでしょうか。

教授が推進して来た研究事業ですが、2000個にもなる胚細胞を自分の研究スタッフも含めて多数の女性からもらって研究材料としたことや、60億円にもなる政府の研究費をつかっていたことなどが、注目に値します。海外からの訪問者もその豪勢な研究設備と多数の研究員を見て、2004年の論文は本当だろうと信じてしまったことらしいです。
実は日本でもスケールもそうちがわないで類似のスタイルの研究が相当数行われているのです。もちろん捏造などはないでしょうが。ただ、国策的な研究と称するもののうさんくささを再確認したいものです。税金を使うとは言え、科学の基礎研究費の相当部分を国策と考えだしたら、たいへんに誤った路線に入ってしまうでしょう。

海外の有力な幹細胞研究者の意見は、この捏造によってもそれほど研究の進展に大きなダメージは無かろうというのが多いようです。つまり、患者にとっての朗報はこのような個人個人で異なるようなクローン細胞をつかわないでも得られるのではないか、というものです。そのあたり、今後の再生医療の根本的なアプローチの違いとして、興味深い意見の異なりです。日本では個人差を強調する医療研究がいま喧伝されていますので。

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