高村光太郎の「某月某日」

今日はひどい雨で、外では何も出来ませんので、おとなしく雨読と決めました。こういう事は珍しく、仕事中毒のわたくしにもたまに訪れたゆっくりした日でした。

本棚の中の何冊かをひもときましたが、その中の一冊が彫刻家高村光太郎の随筆本です。昭和19年に5千部刊行と奥付にありました。父が買ったものであると思われます。ところどころに線が引いてありましたが、父が引きそうな箇所でしたから。高村光太郎は精神を病んだ妻について書いた、智恵子抄でも知られています。いっぽうで、戦意昂揚をさせたと戦後しばらく批判されたこともあるかたです。しかし、こういう随筆をよめば精神的に非常に高いレベルでまた平静にして静謐、諄々となにかを説くというのであり、決して戦争を美化したり推進したりしようとしたものではまったくないとおもわれます。

しかし、昭和16年6月に書いた文章に、タイトルが芸術による国威発揚というものがありました。暮れには真珠湾開戦があった年であります。
そこで、日本は日露戦争以後世界の強国として認められたが、世界の諸民族の日本に対する認識の実相には残念と思われることが多い。つまり、日本の武力、政治力、熱狂的国民性を認めているが、その奥に深く存在する精神力、倫理性というような根本的な力については、甚だしく特殊なものとしか認識していない。腕力が強い、無鉄砲な、怒ると怖い国民だと漠然した印象を持っているにすぎない。すこしは日本のことを熟知しているものもいるが、一般大衆は日本に対する無知の程度が想像以上のものである。それゆえ、彼等は日本にたいしては恐怖は感ずるが、畏敬の念は抱かない傾向を持つ。一目はおいても、心から尊敬するに至らない。すなわち、全体的に日本の国力を認めて、安心して信頼し、応対する心が足りない。
こういう世界大衆の日本に対する無知から来る心構えがなにかある事に日本にとって不利な世論を醸し出すことになっている。
そこで、かれは芸術力によって国家性格の明示ということを提議したいのだといってます。芸術は、国家なり民族なりの最も深いとこりにある精神があるかたちとして直接に人の心をうつ。日本の芸術力が世界に流布すれば、日本の無比な精神の高さ、厚さ、深さを世界は認めざるを得なくなる。これまでの誤認を訂正しなければならなくなる。この後、彼は具体的にどのような日本の芸術が世界に認められるようになるか、を述べてます。
高村光太郎の現実認識と理想的な態度が鮮明です。
この本を読むと、等身大の高村光太郎がありありと見えてきます。
しかし、一方で理想と善意にもとづいた戦争協力会議参加の行動であっても、日本の国家的運命にたいして、ポジティブな影響を果たせなかったのではないか、とおもうと、心が痛みます。
しかし、いっぽうで高村光太郎の一点の曇りがない心境が明確にでている、このような書物をよむことが、現代においても深い意義のあるような気がしました。

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