やはり沖縄は暖かいです。エアコンを入れないと室内の温度は27−28度になってしまい、車もエアコンを入れて走ってます。
今日朝9時からの主任研究員会議ですが、国際電話を使ったもので、わたくしには始めての経験でした。米国西海岸と東海岸におられる方達と一緒で、顔を見ない会議ですから、音声はよく聞こえるとはいえどうも注意が散漫になって聞き逃しが多くなる印象はありました。それに英語ですし。
朝ホテルからのタクシーの運転手に気になっていたホテルの傍にある夜になると不思議な色の電飾で飾った店では何をやってるのか聞くと、ああ、実演の店ですよ。ここのご主人はCDも持ってるような民謡の歌い手さんですよ。もうずいぶん長いことやってますよ。ということでした。ぜひ、次回はここも訪問したいものでした。
3月なかば英国での会議の主催をやるお二人からメール連絡ありました。参加者が250人もあって、発表希望者が80人しかいないのでがっかりしていたら、なんと会議のホームページからインターネット経由で要旨を送った人達のは一通も到着してなかったとのことでした。あわてて参加希望者全員にメールを送って聞いたら、なんと170人になってまだ増え続けてるとのこと、インターネット経由というのは、まだまだ未知の要素の多い世界です。わたくしもこの会議のオーガナイザーのひとりなのです。European pombe conferenceというので日本人のあなたが何でと、何度かきかれましたが、いやわたくしはヨーロッパ名誉市民ですからと答えてます。3月は沖縄のワークショップ、その後英国、続いて米国西海岸と動くのでいまはほんとはのんびりしたいのですが。
正月休みに中国訪問をしたT君のお土産話を聞きました。彼は上海でもかつてのチェコの雰囲気をおもいだすような抑圧的なものを感じたことが何度かあったと言ってました。やはり敏感なのかもしれません。
そのあとでの彼の話では、会った中国人全員が、日本と日本人は大嫌いだと、言ってたといいました。なるほど、相手が東欧人だと中国人も本音が出るのでしょう。彼がいうにはそう言う彼等のひとりも日本に来たことが無く、日本軍の残虐行為の博物館で得た知識とかマスコミ、さらには学校での知識でものを言うので、政府の奨励した方向に完全に向いてしまってるのだろうと言ってました。たぶん、かれはそんな日本でなぜ働くのだと、聞かれたのでしょう。
Hate educationつまり誰かを憎むような教育くらい罪深いものはないとわたくしは思います。なぜかというと、子供の頃にそういうものを植え付けられてしまうと一生直りにくいし、だいたい人を憎んで苦しむのは、憎む側で、憎まれる側は何も感じないはずです。その国に行くとか、もしくはその国が攻めてきてわれわれを虐待や虐殺しない限りは。そういうわけで、わたくしはhate educationは絶対しないことが教育で一番大切なことと思ってます。だから中国はほんとうに愚かなことをやってるとおもいます。
わたくしは昭和22年に小学校に入ったのですが、学校でいっさいどこかの国、もしくはなにかを憎むような教育を受けませんでした。大人の世界では、米国やロシア人を憎む言動がありそれらを聞いたこともありますが、しかし学校でそういうものが無かったことはとても素晴らしいし、いまでもその頃の日本の教育はよかったと思います。実際には米軍の占領下にあったわけですから、米国を憎むことを教科書に書けるはずもありませんが。
また中国や朝鮮で日本軍がしたことを反省するとかそういう類の教育もありませんでした。それでよかったのだと思います。子供にそんなことを言って、卑屈に思わせる必要はまったくありません。むしろどこの国とも仲良くするということを学校では教えるのが大切でしょう。学校はあくまでも建て前を教えるところです。
大人は、ちょっと言えない差別用語を連発する人達もごく少数ながらいたような記憶はありますが、しかし学校での教育は非常にスッキリしていたと思います。今となれば、たいへん幸運だったと思います。自虐というのか謝罪タイプの学校教育も、また憎しみ教育も無かったのは、幸運だったと思うのです。
学校ではそのような感情とは無縁なスッキリした教育を受けたいものです。つまり、友情を大切にすることとか、人間はみな平等なのだとか。わたくしは、小学校一年の時に、隣に座った女の子が知恵の遅れた中学校くらいの年齢の子でしたが、机の上に落ちた彼女のよだれを拭いたり、筆箱の中を開けて鉛筆をとってあげたり、色々アシストしました。教師も隣に座るわたくしがそのようなことを授業中にするのは当然という感じでした。おもいだすと懐かしい記憶です。普通の子とそうでない子を分けずに教えざるをえなかった、戦後の混乱期の教育は結果としてとても人間的だったと思うのです。