すごい雪でした。
比叡山坂本を出るころはたいしたこと無いと思ったのですが,湖西道路の途中からどんどん雪量もふえ、ラッセル車も出てきて,沢山の車が駐車してチェーン装着してました。比良山麓に着いたら,30センチくらいの積雪でした。ぎりぎり車であがれる限界くらいでした。
昼過ぎにかつてのラボメンバーだったKHさん、奥さん、お子さんが来られました。無理じゃないかと思ったのですが,なんとかこれました。この頃になると,雪もあがり青空も広がりました。天気予報では夜になるとまた雪が激しく降るということでしたが,この調子ならたしたことはなさそうです。
Kさんやはり子ぼんのうでした、当然かもしれませんが。英国ではいろんな経験をしてきているのですから,その経験がこれからも非常に生かされるでしょう。研究環境はやはり自らが作れればいちばん自分にフィットするはずなので、努力してほしいなとおもいました。
奥さんはここが気に入ったらしいのでまたぜひ来てくださいといいました。
先日の続きで,家と家族のことを考えてみたいと思います。
わたくしにとって、家族というのはそれなりによく考えてるし、発言も出来るような気がするのですが、それが「家」となると、口が重くなります。というかあまり真剣に考えた経験がないのです。個人と家族の関係は強いのに、個人と家になると希薄になります。あまりポジティブなイメージを持てたことがないし、逆にネガティブな経験をしたこともないのですね。これはわたくしだけではなく、多くの日本人は似たようなものだと思います。家というと、お墓とか仏壇とか親戚づきあいとかそんなキーワードで考えがちです。しかし、本当はそういうものでいいはずがありません。
しかし、世の中には家を絶え間なく考えてる人達もそこそこはいるはずだし、世界的には家を第一に優先するような人達も沢山いるはずです。
何代も続く家業をもてば、いやがおうでも家のことは考えざるをえません。家訓に従って、家業を継承するようならますますです。祖先崇拝の宗旨をもつなら、もちろん家のことは大切はずです。沖縄では、祖先崇拝がいまでも非常に強くあると聞いてます。
わたくしがこんなことを書いてきたのは、天皇家とのかかわりです。天皇家は世界に類のないかたちで連綿として日本を統合するうえで枢要な役割を果たしてきました。庶民のあいだでは、天子様と呼ばれ、民のために祭祀をおこない祈ってくれるという、崇高な役割を果たしてくれるということなのでしょうか。天皇家の家業とはそのようなものであり、その家業を2000年近く続けてるのは、奇跡に近い出来事でしょう。また当然のこととして、普通の意味での家族の継承がおこなえず、傍系が継承したこともあるはずです。天皇家の維持はたぶん、とてもたいへんなことであったに違いありません。いま天皇家をいかに存続するかが、大きな問題になっています。この問題の一番の当事者は天皇家のメンバーでしょう。しかし、憲法での決まりもあり、当事者がこの問題に自由な発言ができません。これは、ある意味で、人権の蹂躙のようにも思えます。
寛仁親王が天皇家の親族のひとりとして、発言に立ち上がったことはたいへん勇気のある意義深いことと思います。
このような行為を、憲法とか政治にからめて抑制してはいけないと思います。天皇継承は、天皇家の相続でもあるのですから、天皇家のメンバーの意見は本来は十分に反映されるべきだとおもうのです。今議論されている、新しい法案に天皇皇后ご夫妻や皇太子ご夫妻や皇位継承順位に関わる皇族のかたがたなどの天皇家の意見が反映されているのならいいのですが。でもそういうことをした気配がありません。
天皇家は好きでやっているのでもなく、人気取りのために、日本国家の象徴の役割を果たしているのではまったくないでしょう。日本の歴史における天皇家の使命を強く感じ、また日本国民の多数が、天皇家の存在を希求してることを十分にご理解しているからでしょう。法案を国会で議決する過程で、天皇家の意向がまったく論議されないとしたら、家の存在を忘れたのか無視したことになると思います。それは非常にまずいのではないか、天皇家の継承方法を決める以上に重要な問題ではないのかと愚考する次第です。