最近、三浦敬三さんの訃報を知りました。102才になる直前のようでした。わたくしが最初に買ったスキーの本は、三浦さんの書かれたものでした。表紙に、八甲田山の大斜面を滑る三浦さんの写真がのっていて、たしかクリスチャニアという名前の本でした。大学の一年に始めてスキー旅行に行ったあとで、買った本だったのでしょう。暗記するくらいなんどもなんども読んだものでした。お子さんの三浦雄一郎さんは冒険的なスキーヤーで非常に有名ですが、わたくしが三浦敬三さんの本を買った頃には、もちろん父親のほうがずっと有名なようでした。
比良の麓からは、蓬莱山の頂上にあるスキー場の夜間照明がよく見えます。これを眺めながら、わたくしが最後に滑ったスキー場はどこだったか思い出そうとするのですが、わかりません。コロラドだったか、サンモリッツだったか、それともどこか予想外な場所だったか。分かりません。それくらい昔のことになってしまいました。日本のスキー場で最後に滑ったのは、唐松岳の八方尾根だと思うのですが、何年前か記憶にありません。たぶんどれも7,8年から10年くらい前のことだったと思います。
子供達も結局だれも熱心なスキーヤーにならなかったので、家族でも話題にならないし、研究室でも熱心なのはごく少数らしくて、毎年2月か3月かにスキー場に一緒に行ってるようですが、年々少数化してるようです。わたくしもあんなに熱心にスキーに行った時期が長いのに、いつのまにやら行かなくなってしまいました。
スノーボードというのですか、あれと共存が始まった頃のスキー場がわたくしが最後に行った時期なので、いわゆるスキーしかわたくしは知りません。滑るのは好きですが、格別に上手というわけでもありません。ただ、いろんなところで滑ったことは確かです。スイス時代にとことん堪能したので、思い残すことはありません。
ただ、また元気に滑ってみたいな、という欲求は微かに残ってます。三浦敬三さんは100才まで滑っておられたようです。
新聞記事では、三浦敬三さんは99才の時に、モンブラン山系最長のフランス・バレーブランシュ氷河を滑り降りるという6度目の冒険スキーにチャレンジし、2003年2月19日、見事成功したとのことです。同行者はご子息とお孫さんだったそうです。
わたくしも、このバレーブランシュ氷河をスキーでおりたことがあります。シャモニーから、エギユドミディまでケーブルで上がり、たしか富士山より標高の高いところまで昇り、そこから降りるのです。技術的に難しいところはないのですが、氷河でかなり危険な時期もあるので、研究所のベテランスキーヤーがガイド役をしてくれて、楽しみながら降りることが出来ました。しかし、その頃わたくしは30才前なので、それから35年近くたった今、そんなことを試みる体力も気力もない感じです。だから、99才でやったと聞けば、偉業としか言いようがありません。
ただ、わたくしも、いまから体をもういちど年相応のトレーニングをすれば、やさしいスキー場に行くのは、2,3年後には可能かもしれません。