けさ大学に来るバスで数学のα教授にあって雑談をしました。彼とはよくあって、学門的な世間話をします。
数学では研究費よりもむしろ図書などの購入費がかさむくらいで、昔に比べて格段におおきな研究費がひつようになったわけではない、やはりいちばん気になるのがいろんな大学での教養課程で数学の講義が減っていまって、数学関係の就職口が減っていることだそうです。ポスドクは、21世紀COEでかなり雇ってしまったので、かれらのその先のことを考えると気が重いとのことでした。そうでしょう。
数学とか人文、社会科学では相対的に研究における人件費の割合が高いし、高くなるべきなのだと思います。そこのところが、あまり明確に大学人にすら理解が共有されておりません。
これらの分野では、研究費全体の中で人件費の占める割合が、80%近くなってもしかたがないというべきで、バラエティに富んだ研究者が学問を継承し、なおかつ発展していくためには、人件費係数が高いことは当然だと主張すべきなのだと思います。
昨日から話題にし始めている、昨年の暮れ12月27日に決定された、科学技術基本政策答申では、平成18年度から総額25兆円の政府研究開発の投資が予想されてます。
その基本理念が今日のタイトルの人材の育成、確保、活躍の促進で、同時に社会国民に支持され、成果を還元する科学技術とうたわれてます。そして、人材育成と競争的環境を重視すると基本姿勢が述べられてます。まったく、立派な考えで、大賛成です。
成果を還元する科学技術というと、流行の学問だけにお金が行くのではないかと、条件反射的に考える人も多いのですが、そう考えずに、人材育成にもお金がかかるし、それは投資である、と政府も国民も考えてくれているのです、ありがたいことです。
わたくしも、自分でいうののもなんですが、日本という国の人材育成政策のプロダクトだとおもってますし、これからも税金を使わせてもらって、次世代、次々世代の人材を育成していかねばなりません。
これまでの大学は親方日の丸だったので、大学における人件費を投資とか人材育成とか、研究費と同様なものと考えることになじんでません、しかし、政府が先にそう考えだすようになったので、その考えをとりいれて、研究費を獲得して、人間を育てていかねばなりません。
自然科学系の科学技術と人文社会科学系の研究が、競争することはありえない、決めつけることもないでしょう。たとえば、生命科学技術研究で3億円のあたらしい装置を購入して、これから十年間データを継続的に得ていくプロジェクトと、人文、社会科学系のプロジェクトで、その同じ3億円を4人の新進研究者の十年間分の給与と研究活動費に使用するのが競争拮抗することがあってもなんらおかしくない、と思いたいのです。
生命科学系でも、装置で大きな金額を使うのやゲノムやタンパク構造など大規模反復型解析と、それにたいし小規模分散的な研究タイプで人件費が多くなるのと、異なったタイプのプロジェクトが競争するのも大いに結構です。従来型の学問はどちらかというと、後者のいろんな人材をいろんな方向に研究を向けてやるものでした。いまは、集中型プロジェクト全盛ですが、そろそろこれらのプロジェクト研究の問題や弊害が政府筋でも理解されてきたのだと思います。
生命科学では、プロジェクト的でない研究が実はいちばん貴重で、大切だったという経験がたくさんあります。つまり、beginning of scienceはそれほど装置や経費のお金がかからないのです。ただ、ヘテロな人材がヘテロなプロジェクトに取り組む必要があるのです。
ほんとのところ、人材つまりありとあらゆるタイプの研究者を存続させていくことが実際には、いちばんお金がかかるし、贅沢なのです。そんなことは普通出来ません。人材は常に装置やモノに負けてきた面があるのです。悲しいことですが、これが真実です。日本の社会、あちらでもこちらでもそうだったように思います。
それで、(研究所や大学などの)機関における個人の重視、まったく大賛成です。
しかし、ここでは、人材はなんの正統的理由もなくたんに温存しているのでは、国民や社会に支持されるはずがないでしょう。
やはりかつての実績そして現在の状況を見て、社会は機関の個人重視の方法を判断するでしょう。
今日は、このあたりでやめておきますが、やっとこ国という胴元が成果還元と競争的環境という縛りをつけつつ、モノから人へと言いだしてくれたのです。そして、組織における、個人重視をうたってくれ始めたのです。ありがたいことです。
元気のよくなる人がたくさん出てこなければおかしいでしょう。
いま、才能ある研究者にとって、ノウハウがわかれば、研究費を得ることは決して困難では無くなってきました。政府が人に経費がつかえるのと言ってくれるのですから、保守的な管理者も新しい流れについてきてくれるはずです。