悪夢の国、 若者の未来

やはり米国は9月11日以降別の国になってしまい、イラク戦争の現況もあり、訪問者にとってはなじみにくくなっているようです。
まずアムステルダムの空港でも1時間前から客を受け付けていますが、要するにそれだけ時間がかかるということです。わたくしも珍しく米国滞在のホテル名をセキュリティチェックで聞かれました。しかし他はどうということもなく、単に時間がかかるのと、なんとなく陰気な感じがすることです。その感じは、サンフランシスコの空港では一段と強くなり、墓場のような陰気さの中で訪問者は指紋を二つもとられ、写真も撮られます。これじゃ、日本の旅行者も減るだろうなと思います。通関場で笑顔はまったく見られません。
こりゃいかんな、とおもってタクシーに乗ったら、ドライバーのインド人も乗ったらすぐ、9月11日以降駄目になったとすぐ言い出しました。
まあ、入口だけでいっぺん入国すればあとは昔ながらの米国があるのですが、気むずかしい国になるのは当然とはいえ、イラク戦争も含めて、米国人も疲れているのだろうなと、ちょっと同情心が湧いてきました。

スタンフォードでのスケジュールがびっしりしていることは、ホテルで開けたメールで分かりましたが、しばらく今晩くらいは忘れていたいものです。

今回の旅行では沢山の若い人達に会いました。だいたい20代後半から30代なかばくらいの人達で、いろいろな話しをしました。彼等の内面に立ち入るような会話はほとんどありませんでしたが、いろいろな悩みというかこだわりを持って生きているのは、どこの国に行っても同じだと改めて感じた次第です。なかにはわたくしが、特別に高い評価をしている人がいて、その人がまだそれほど世間に知られていない時期に、こうやっていろいろ話しができることを、幸運に思うほど思い入れをしてる人もいるのです。ぜひ伸びて欲しいな、と思わせる若者は、やはりその純粋な心というか気持ちが光り輝いているように見えるのです。

やはりある分野が盛んに発展するためには、才能のある若い方がぜひとも参入してくれてほしいのです。かれらががっかりしてしまうような分野というか研究者コミュニティーになって欲しくないと強く感じました。若い人の中には、稀に無礼ではないか、と思いたくなるようなことを言ってくる人達がいますが、まあそれは人類の歴史において、若者と老人のあいだに常にあることなのでしょうし。

自分で言うのもなんですが、わたくしには若い彼等が見えてない彼等自身について、ある程度の時間、彼等と話しをしていると、なにか本質的なことが分かるような気がするのですが、それは決して口には出しません。まあせいぜい褒め言葉がいえるような時には、そのなかに一部入れていますが。
若者に対して批判的なことをいうのは自分の研究室内どまりにしているつもりです。研究室の中なら、家族みたいなものですから、何度も頻繁につきあってますから、真意が伝わりやすいですが、一度しかあわないような人に批判的なことを言ってそれが誤解されたら修復の機会がありません。

自己評価をどうしているのか、このあたりが若い人と付き合ぅ中で見えてくるのですね。若者というのは、自分の自己評価のアンビバレンスの中で生きているとでも定義した方がいいかもしれません。年齢が経過してある結果が出てくれば、年長者はだれでもそれにある程度依存するものです。
若い人のなかで成功するひとたちはたぶん自己評価が非常にいい線をいってるのでしょう。適切な自己評価がその人の魅力を作っているケース、これがやはり若者と話した後でいちばん楽しく印象がつよいのです。

きょうはこれから、キューバ戦を見ながら、晩飯はいかがですかという、G君からのファックスがホテルに届いていました。

タイトルとURLをコピーしました