きょうは学術会議の総会、部会、委員会がありましたので、日帰りで東京に出かけました。
東京駅のキオスクででみた夕刊紙の広告にまで小沢独占インタビューと大きな字がおどってましたから、民主党の注目度はなかなか高い。それに靖国参拝についての小沢氏の意見(中曽根元首相も同じようなことを言ってました)が広く流布しだしたようです。これは、なかなか興味深い議論です。さっそく、安倍官房長官が釣り針に引っかかって、反論を出したようなので、しばらく議論がつづくでしょう。小沢氏は巧妙に靖国神社をそうさせる(つまり戦争指導者を合祀させない)秘策があるが、それは政権を取るまで秘密とか、言ってるようです。これは、たぶん中国、韓国をまじえて議論が拡がりそうです。ナショナリズムを煽る面はありますが、いっぺん通らなければならない議論と思われます。
知り合いの方の教示で、東大工学研究科、産総研、阪大医学研究科での調査委員会の報告書を読むことが出来ました。
データ捏造という問題と大学における処分という、厄介な問題が含まれていて、真面目にこの問題を考えると発言もしにくくなります。おおかたの研究者のかたがたも関心はあってもなかなか発言をしないのは、とりあえず問題をきちんと捉えるのが難しいからでしょうね。
そこでわたくしはこの問題を四つに分けて考えるべきだと言っております。
(1)同じ分野に属する研究者コミュニティーにおける対応
(2)属する組織(つまり大学、研究所)における対応
(3)研究費を出す機関(たとえば文科省、学術振興会、科学技術振興機構など)における対応
(4)社会における対応。納税者はどう思うか、もしくは科学技術研究に関心を持つ一人の人間としてはどう考えるか。
マスメディアは(1)−(4)すべてを時間軸に沿って報道しますから、記事を見る人達は整理しがたく混乱しがちです。しかし、これら4つに分けて考えれば、わりあい分かりやすくなります。
これらの調査書は(2)の対応のケースになるわけでして、当該研究者達の所属する機関が調査報告したものです。
多比良教授のケースでは、日本RNA学会が研究科に調査を申し入れているわけです。もしもRNA学会が東京大学工学研究科に申し出なければ、調査をしていなかったかもしれません。内部告発があったわけではなく、(1)に相当する研究者コミュニティーの国内組織が一連の論文の内容に疑義を抱き、学会では調査能力が持ちえないので、当該研究室に介入できる能力を持つ(2)機関に申し入れたのでしょう。
RNA学会がどのような経緯で申し入れをしたのか、詳しいことは知りません。多比良グループの発表に対して個人レベルでたぶん何度も疑義や質問が投げかけられたのでしょう。しかし、それに対する満足な対応が無いので、学会レベルで動き出したのではないかと推測します。
もしも、関係研究者が疑義を投げかけ、それに対して当該研究者特に責任著者が迅速かつ精密に調査して、例えば捏造があったと確信された場合、その責任著者はコミュニティーに事情を明らかに果たす説明責任を果たしたうえで、謝罪し、発表論文も撤回する。このようなかたちが通常のケースで、そのように決着を見た沢山の捏造論文が過去にあります。責任著者や関係研究者の誠意ある(と思われる)説明責任があればわたくしなどは大抵それで終わりというふうに思ってしまいます。
研究者コミュニティーは別にそれ自体確固とした組織を持ってませんから、誰かを罰するわけでなく、一人一人がそのような説明を聞き、納得すればそれでいいというのが、個人から成り立つコミュニティーの論理です。納得しなければいつまでも疑義は続くでしょうが。
ですから、責任著者は疑義を投げかけられたら、全力で誠意を持って対応するのが、この世界の倫理的なルールなのでしょう。
そうしなければ、同業者から総スカンになるかもしれません。新聞やテレビが得意とする速報性のある話しではないので、疑義のある論文はくすぶり出すと、一年も二年もコミュニティーの中で話題になります。
所属機関や研究費を提供する機関は、ことがあれば責任著者から詳細な報告を受け、それから、どう対応するか考えだすことになります。本当にケースバイケースなので、どう対応するか、マニュアルはあってないようなものでしょう。
責任著者がまともに対応してないというか、(1)のコミュニティーが納得しないと、どうしても(2)の所属機関もしくは(3)研究費をだしている機関が乗り出さざるをえなくなり、話しが段々おおごとになってくるので、関係者のストレスは非常に高まるものです。さらにマスメディアによって(4)のレベルでも論じられれば、いわゆる引っ込みがつかなくなって、ギリギリまで議論が続くわけです。処理を誤れば、所属機関も研究費提供機関も声価に傷がつきます。しかも処理をしなければ、納税者や研究費提供者に説明責任が果たせません。
結局、このようなケースが起これば責任著者の「覚悟」は分かるものです。というか、研究室経営者の「危機管理」の原点はこのあたりにあるのです。すべての人間が性善であるなどと考えてたら危機に対応はできないでしょう。
もしも、責任著者自身がデータ捏造者であったらどうなるのでしょう。これはほんとうに大変なことです。確信犯的なデータ捏造者がラボの経営者だったら、どうするか。前例はあるようですが、多くの場合激しく長期にわたるバトルが繰り広げられるようです。そのようなケースは、(2)(3)の機関にとっても不名誉なこととなるので、研究室経営の責任著者の採用にあたっては、沢山の推薦状をとりよせるのも当然です。一朝事あればコミュニティーの代表研究者と責任を分かち合うことに当然なります。
研究費獲得が極めて難しくなって来た昨今の世界的事情を考えると、これからもいろいろな事例が出てくるでしょう。そして研究者の人間性が問われ続けるようになるでしょう。
捏造はどんどん巧妙になりますので、それを見抜く能力を持つ人達を養成する必要があるのかもしれません。