阪大と東大の校風の違い

昨日の話題の続きですが、それでは捏造データを出した研究員はどうなってしまうのか、と質問されることがあります。欧米ではかなり捏造データに厳しいので、いっぺんそのようなレッテルを貼られると、この世界で働き続けることが普通困難です。ポスドクくらいの立場では、どこも採用してくれなくなるでしょう。しかし、情状がかなりあるような状況だったり、持っている研究技術がなにか特別なところがあれば、どこかで就職も可能だと思います。このような経過はごく常識的なものだとおもいます。

阪大と東大の報告書を読み比べると、わたくしの思い過ごしかもしれませんが、この二つの大学の校風の違いが強く感じられます。

東大の方の報告書は公開性とかではほぼ満点ともいえますが、実際のところの読後感は「臨場感」がありません。つまりどのような研究室の状態だったのかがつかめないのです。そのような実験ノートも一切書かないような中堅研究者が、natureなどの著名ジャーナルにつぎつぎと世の中で評判になるような論文を発表できるような、ラボ環境がどのように存在しえたのか、さっぱり臨場感をもって理解できないのです。たぶん、ラボの他のメンバーの聞き取りがあって、そのあたりの記述があればすこしは想像出来るのですが、そういうものは一切ありませんし。わたくしにはこの報告書からはこのグループの研究状況がまったくうかがいしれない感じでした。

それに比べて、阪大の報告書は格段に臨場感があり、ところどころの記述ではわたくしにはありありと、この捏造データを作ったとされる学生の研究室での態度や様子が想像されるのです。また、関係教授や研究者の行動も東大のに比べると、かなりビビッドに想像できる記述になっています。もちろんそのような記述が真実をどこまで反映しているかはわかりません。しかし、わたくしには阪大の調査委員会は真実を求めて熱意をもって、相当に深く入り込んで報告していることは間違いありません。報告書のすべての人名は黒く塗りつぶされており、大変読みにくいし、もしかしたら読み誤っている可能性もあるのですが、それにもかかわらず、臨場感は東大のに比べれば格段にあります。
ここから先はわたくしの推測も相当まじえてるのですが、あえて書かせていただきます。昨日の書いた4つの対応のうちの(1)つまり研究者コミュニティーの対応ですが、責任著者はそれをある程度しようとしたのかもしれません。しかし、共同研究者の数が非常に多くて、まずその点での対応に心理的に参ってしまったのかもしれません。二つの論文の関係者は相当数おりまして、なかには京大もふくめて他の大学の研究者もたくさんいます。
この阪大の報告書では責任著者の教授が発覚後に(1)についてどのようなことをしたのか、もしくはしようとしたのか、弁明も含めて、事実を書いてもらえば読後感はずいぶん違うと思いました。
もしかしたら、なにも書いてないので、なにもしなかったのかもしれません。そうだとすると、かなりまずいですね。研究経営者として失格です。

(1)をちゃんとやっていれば、(2)に発展しないですんだケースのようにも見えるのです。もしかしたら、発覚したときに、責任著者には手に負えない、複雑な状況だったのでしょうか。そうとは見えないのですが。学生の出したデータですから、責任著者が全責任を負うという、原則さえきちんと守れば、(1)のレベルでのきちんとした説明責任があれば、事態を乗り切れたようにもおもえます。

阪大の報告書のポイントは、あくまでも報告に徹していて、関係研究者の処分と連動して書かれてないことです。つまり、どのような処分が望ましいのかという、観点があり、それについてもある程度のコンセンサスを持ってから、それに基づいて報告書を書いてればずいぶん異なったものになったと思われます。また、大学本部の決める処分にも一定の枠がはめられたはずです。

その点で、東大の報告書は巧妙でして、報告書にはなにも処分のことは書いてありませんが、ある程度それが予見できるような、面があるのです。
このあたりを校風の違いといったのです。

もうひとつの違いのポイントは責任著者である教授は阪大医学部臨床系の若手エース、すくなくとも将来のエースだったことなのだと思います。つまり、平たく言えば、もっとも嘱望されていた方なのでしょう。それに引き替え、東大の方のケースは単なるよそ者、外様という扱いというか雰囲気のようです。そういう感じを現役の東大の生命系の教授の方と話したときに感じました。
阪大はこの責任著者のかたをあたかも守っているかのような、処分をしてしまいました。多くの阪大医学部の関係者にとっても、たいへん不本意な処分だったに違いありません。また一方で直接この問題に関わる研究者のかたがたにはそんなきつい処分を大学から受けるはずがないと、感じるかたもおられるでしょう。そのあたりが、研究者の実感かもしれません。
すべては、(1)での対応を発覚直後にきちんとやらなかったことが生みだした問題なのだとわたくしは思います。今でもやってないのなら、今からでも遅くないとわたくしは思います。

そういうわけでわたくしは、阪大の報告書を作られた方々の労苦に対してねぎらいの気持ちを強く持つのですが、一方で、大学の処分が出たあとでの調査委員会の声明でも発表してほしかったように思いました。そうすれば、ある程度バランスのとれた(4)世間の受け止め方もあったのではないでしょうか。
(3)での対応については、二日ほど前の新聞記事ですと、文科省は東大の責任著者への科研費を今年度は出さないと決定したとのことでした。また阪大での責任著者については、本人から辞退の連絡があったとのことです。

きょうは激しい雨がおりおりに降る不順な一日で、桜が満開なのに、気分まで不順になりそうです。
しかしわたくし自身は、K君の原稿が思いのほか短期間で完了できそうなので、そんなに不順な気分ではありません。

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