京大の場合

京大では責任著者がこの大学の研究者である捏造論文は最近発覚していませんが、阪大の論文では共著者に名をつらねてるかた達はおられますから無関係などということはまったくありません。
そういってはなんですが、京大には捏造論文よりも盗作のほうが似合っている大学かななどと無責任に思っています。盗作ならいままでにも結構あったはずです。もちろん、それで職を辞してる人達もいたはずです。

典型的なのは、ある文化勲章受章者が、若いときのころに、もうひとりの文化勲章受章者(もちろん若いときですが)に自分の考えというか論文をすっかり盗まれたので、今でも口惜しくてたまらない、相手のものといわれているのは、本当はわたくしの考えだったのだと言って、存命中に決着をつけるべきだったと、悔やんでる文章を読んだことがあります。もちろん印刷された本の中ですから、秘密の話しではありません。こういう話しは、つまり先輩がいつのまにやら後輩のいいアイデアをごっそり盗ってしまうというのは、この大学では割合あったのかもしれません。もちろんいいはずはありませんが、たぶん、これを言い出すと、この大学ではあれもこれもわたくしのアイデアだったと言い出すひとが沢山いるような気がします。しかし、アイデアをとられるのはよくある話しで、それ自体を盗作とは言えません。盗作は論文の内容を転写するようなものに使われているはずです。

OT先生が喝破したように、京大は「はきだめの鶴大学」であります。確かその意味は昨年説明したはずです。鶴を作るには、まずはきだめというか、鶴の肥やしになるような人間が必要という含意であります。しかし、もう一つの含意は、はきだめ人材が鶴になることもある、というものでしょう。
わたくしが、30才で京大で職を始めて得たときに、すぐ理解したことは、この大学では研究の不調が何年続いてもぜんぜん平気でいられるんだということでした。ある意味、驚きの発見でした。何十年も論文を出したこともないような人達が、結構元気に飲み屋で色んな先生の悪口を大声で言ってるのですから。他にもこのあたりで、書きたいことは山のようにあるのですが、差し障りがあって書けません。、
いっぽうで、優れた仕事をしても、誰も表だって褒めてくれません。これはどうでしょうか、今でも続いてるのでしょうか。捏造論文を作らせない点ではいい環境かもしれませんが、やる気が出ない若者が増えるでしょうね。昔はそんなものでした。
たしかに、捏造データをクイックに作って、有名ジャーナルに発表して周りからちゃほやされる、感じはまったくありませんでした。

わたくしは、ある長老教授にあいつはローマで見たこじき(いまはホームレスですか)にそっくりだと、レッテルを貼られていたらしいのです。
生意気になにをするんだと、見られていたのは間違いありません。でもそれを口に出すような人はいませんでした。会議は標準語をしゃべる点も含め、人の評判を気にしなければ何でも出来そうなところ、これはさすが京大、千年の都の大学、と感心したものでした。
きょうはこのあたりで止めさせていただきます。

きょうは、午後始めに学術会議で体制委員会に出席するために東京に来て、会議のあとに、沖縄行きです。先週も沖縄にいったのですが、あすは聞かねばならぬセミナーがあります。他にも用事があります。いま羽田の空港で書いたところです。

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