百万遍からの入口の小路の入口には歩行者のみということを知らせる大人と子供が手をつないだ絵がある標識が立っていますが、それを無視して自転車でつっこんでくる若者(学生でしょう)がかなりいます。人混みの激しい昼時などでは、どこでもいいからすぐ行けそうな空間を探して走るのでしょう。ほんのわずかの距離の違いで自転車道路があるのに、標識を無視する人達は、たぶん歩行者にぶつかっても無言で去るような人種なのでしょう。残念ながら、たぶんどこにいってもこの程度の社会ルールの違反なら平気で破るのでしょうか。
博士の学位をとってもなかなか職がない、どうするべきかということを話題にしましょう。
工学部などでは博士学生定員に満たない研究科が沢山あります。企業などでは、博士号取得者はいらない、と広言しているところも多いようです。会社に来たら即戦力になるような博士号取得者しかいらない、というのです。
このようなことが、博士号取得者が増えない、悪循環を生みだしてます。まともな学生はそのような状況を察知して博士号をとろうとしないし、またその結果、博士号を取ろうとする学生は相対的に少し社会的適応性が低かったり、企業にはいきたくないと思っていたりです。
博士号取得者か企業側か、どちらが原因なのか速断はできませんが、日本の多くの企業は博士号取得者をうまく使えてません。企業側にたてば、うまく使いたくなるような候補者が博士号取得者に少ないといわれてます。
この件をもう少し、距離を置いて考えれば、そもそも博士号取得というのは、医師や弁護士などの資格とくらべれば、あまりにも価値の低い処遇しか受けてません。それが事実です。
俸給表のなかに博士号取得による加算など、公的私的組織でどこにあるでしょうか?
冷遇という点では大変なものです。
これだけの期間をかけてとるのに、なんの優遇もありません。
さらに医師とか弁護士は、そのような資格を持った人間しかできない業種をがっちり持っています。世の中にある資格のほとんどはその資格を持った人間しかやれない業種があるのです。
たしかに大学の教授くらいは博士の学位が明文化はされてないものの、必要ですが、それ以外で必要なものといったら、まさにポスドクの職くらいでしょう。
教授は一人決めたら、次の20年くらいはもうその教授職はうまったのですから、ぞくぞくと生みだされている博士の学位取得者の大半は、ポスドクくらいにはなれても、その先の研究室運営者的な職の数が少ないのは、はっきりしてます。
わたくしは昨年、ポスドク的な生活を20年くらい続けるのも一つの道だと、書いてお叱りをこうむったのですが、しかし現実にはそのような状況があるから一つの解決策としてはありうる選択肢です。
しかし、わたくしは学位取得者の今後を考えたら、やはりこのような考え方はなんら抜本的解決策に向かわないと思うのです
博士号取得者の職を保証するような仕組みを作る必要があります。医師や弁護士のようにいかないまでも、博士号取得者数に応じてある程度の職が必ずあるように行政サイドが制度を触る必要があると思うのです。なんのためにこのように沢山の公的なお金を使って、最高の学術教育をしたのか、それが社会に還元されないではいけません。大変問題です。
博士号取得者の職が増えなければ、そうでなければ、上で述べた悪循環は続くでしょう。
わたくしは、まず中学校や高校の教員の中に一定割合の博士号取得者がいることを勧告する行政的措置がぜひ欲しいとおもいます。統計的に一定の割合以上になるようにするということです。学問経験が相当ある教員の存在が中学や高校にあることは、いいことに違いありません。また博士号取得者にとっても企業で利潤追求の研究に入るより、教職につくことに情熱がわく人達もいるでしょう。
官庁や公的機関にも同様の理由で雇用者の総数の中で一定の割合以上に博士号取得者がいることを定める措置があってしかるべきだと思うのです。
統計数値として、全雇用者のなかでの博士取得者の割合を公開したらいいと思うのです。
博士号取得者の能力は公的機関でいちばん発揮されやすいものです。教職とか、公共的なところで、研究の場で培った能力が生かされるでしょう。
文科省や内閣府あたりで、博士号取得者に投資した国費からの見返りという点で、このあたりのことをぜひ調査してもらいたいものです。
セーフティネットという言葉が最近よく使われていますが、博士号取得者にたいする、セーフティネットは現状ではまったくありません。
それで、セーフティネットに鋭敏な社会感覚を持った若者が博士の大学院にやってきません。それでは、どんな若者が来るかと言えば、そういうことに疎いか、学問が出来たらどんな状況になってもかまわないという殉教者的な若者か、それとも他にいけないけれどもたまたま院入試の偏差値が高いとか、そんな若者になってしまってるのです。
これは、おかしいと思います。やはり博士号取得者になったら、自らの社会的存在が予測できるようでなければ、なかなかいい意味でのヘテロな若者たち、日本の社会をいい形に変えていくような積極的な若者はたくさんやってこないでしょう。