リリー・フランキー 東京タワーを読みました

K君のはきのう脱稿しました。この仕事にこれだけの時間をかけて論文を書くのは正直かなりしんどかったのですが、これでおわりです。もちろんアクセプトまでにまだ時間はかかるでしょうが。どんな仕事にも終わりはある、というわたくしのモットーからいって、これはその典型例。この論文がアクセプトされたときは、本人もわたくしも同じセリフをはきたいでしょう。
それで、現役院生の別のK君の論文に数日前から着手。データは沢山あるのですが、発掘作業の感があります。バラバラになった、なんだかわからない、発掘品をとりあえず並べて、意味のあるかたちにしてみる作業が、これから何日かかるのでしょうか。本人はここを読んだら憤慨するかもしれませんが、でもまあ彼はナイスガイですから、大丈夫でしょう。
彼の番まで来たかという感慨があります。現役院生6人中、既に一人はもう論文があります。かれには今後はわたくしがとびあがるようなデータを生みださない限り、自分のことは自分でしなさい、というモットーを適用すると告知してますので、残りいよいよ4人になってきました。他にもまだまだいますが、事情がだいぶ異なります。現役院生にとうとうたどり着いたので、だいぶ気分が良いのです。

博士達の話しは今日は休んで、リリー・フランキーの東京タワーを読みましたその感想でも書きますか。
昨年の暮れか今年の正月から自宅の居間にありましたが、なんとなく読むほどのこともない本という認識でぱらぱらもめくらなかったものでした。娘がこのあいだ来たときに,置いていったのでしょう。
最近は、誰も知らなかったマオとかいう大部の陰惨な本をおりおりに読んでました。毛沢東がとんでもない、悪逆、非道のの悪い男として、書かれてる本です。それも部厚い本で二冊もあり、最後はやめたいけれでも、高かったので、もったいないから読んでいるような感じになってました。毛沢東もひどいが、著者はよくここまで救いのない人物に執念を燃やせるのか、不可解なことです。どこまで本当なのか知りませんが、これが歴史認識の一部を形成するのだとすると、現代中国の歴史っていったいなんなのだと、誰かに向かって、怒鳴りたくなるような本です。いずれにせよ、ありとあらゆる意味で、不愉快、不快、後味の悪いことです。桜井良子さんの書評を読みました、さすが沈着冷静、わたくしのような感情的な読み方はしないで、諄々と諭されました。たしかに、なんらかの価値のある本なのでしょう。

それに引き替え、この東京タワー、叙情的なムードで一貫しており、人間賛歌の本でした。秘書のSさんはなみだで顔がはれてしまったそうですが、わたくしもところどころで涙腺がゆるんだ時がありました。テレビの番組で著者を見る機会があり、興味が持てたので、一気に読んでみました。
類型的な分類を拒否するような、ユニークな持ち味があるのは、やはり事実のもつ強さと深さなのでしょう。
200万部近く売れたのか売れるのかということで、かなりの人が読んでるでしょうから、書評的なことはいたしません。
淺読みも深読みも出来ます。深読みすると、なかなかしんどい面も持っています。
涙派も、求道派も、母もの派も、極道派も、業界派も、下流社会ヒーロー求め派もみな満足できるでしょう。求道派のなかでも、宗教系のひとまでも満足できるのではないでしょうか。でも、なんといっても愛が中心モチーフでこれ位、いやみのない本は珍しい。希有の本です。
この人の多様な活動も今の人であることの証明なのでしょう。
人には言えないような無頼的な生活もする著者が精神の深さで、稀な心境にまで到達していることが、凡百の道徳や倫理を論じる本などのはるか上にいることなのでしょう。
という結局、褒める言葉ばかり並べてしまいました。

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