新生ニッポン、憲法記念日

昨日は比良山麓のほうに夜に戻って、いよいよのんびりとおもったら、電話が鳴って、おばの死去の通知がありました。
母親のすぐしたのおばで、栃木県ですが、葬儀にいかないわけにはいけません。
葬儀は家でするということで、場所を聞きました。かなり交通機関的には遠いところです。朝5時20分のJR発の電車に乗れば間に合うことがわかりとりあえず、5月4日はこれでいきます。おばには長いことあっておりませんが、風貌は母親にそっくりで、あうといつも優しい言葉をかけてくれたことをおもいだします。

きょうは憲法記念日、憲法を考えるにはよい日です。
60年前には新しい国作り、その基礎となる憲法ということで、おおかたの日本人にとっては、当時は晴れがましい感じの憲法だったのではないでしょうか。いまでも憲法を愛し、金科玉条にしてる人達が相当多いのも、不思議ではありません。しかし、60年たち、現憲法は役割を終えつつあるのではないかと思います。
日本という国はもちろん奈良の時代の頃からあるのですが、異人に支配されたのは、昭和20年からの占領時代だけで、その遺物といったら、問題でしょうが、その時代のシンボルがいまの憲法です。
しかし、多くの日本人にとっては正直なところ、アメリカ人に着せてもらった晴れ着のような感じで、憲法は決して悪い感じのものではなかったはずです。いまのアメリカ文化のジーンズよりはずっとよそ行き的なものでこれで日本という国の理念も西欧と同じになったと、そこまで単純ではないとおもいますが、とりあえず西欧化が公認されたわけです。そしてアメリカ人の庇護下に新しい国作りを始めたといっても過言でなく、そのシンボルがいまの憲法でしょう。わたくしなどは、そのいまやあまり人気のない戦後民主主義教育のプロダクトのようなものです。
しかし、しょせん日本人は日本の伝統をおもいだし、服装や見かけは限りなく西欧化しても、やはり頭の中は伝統的なものに回帰していきますから、いまの憲法をいつまでも維持するのはしょせん無理でしょう。
そもそも9条がどうにもなりません。自分の国は自分で守るという当然のことが当然でないかのような、逆転の思想が教育界を支配してましたが、もうそのような自衛隊によって、武装しているのに、日本は武装してないかのような、教育をいつまでもを続けるのは困難でしょう。
中学でせめて軍事教練のまねごとのようなことをやるべきだと、わたくしがおりおりに親しいしりあいにいうようになってから、もう20年くらいたちます。
それは国民皆兵のスイスでの体験から出た発言でもありますが、いっぽうで伝統的な日本の意見といってもなんら不思議はありません。日本はつよく武に傾く傾向のある伝統の国です。よい、わるいは別にして。
わたくしは、新しい日本憲法は自分の国は自分で守る、という単純なことを再確認するということで、近隣諸国の賛同もえつつ再出発できればベストかなと思う次第です。

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