不得意なこと

ここのところ数日でGenes to Cells ジャーナルに沢山論文が投稿されましたので、半年間の目標数に達しました。ジャーナルもどこか人気商売的な面もありますのと、毎号同じくらいの厚さで刊行したいこともあり、コンスタントに投稿論文があるのが一番ありがたいのです。おかげさまで投稿論文の水準は満足すべき高さなので、あとはなんというか人気と格の両方がバランスがとれるといいのですが。引用頻度は決して悪くありません。とっくに欧米の名の知れた歴史の長いジャーナルを越えています。でも、日本なら今の状態のすくなくともワンランク上にいないとおかしいと思ってるのです。なにが足りないのか、そのあたりをよく考えます。でもまだ答えがでていません。

きのうは悲観的楽観主義というようなことをタイトルにして書きましたが、きょうは実験科学者のだれもがぶつかる自分の不得手なところとどうつきあうか、ということを考えてみましょうか。
どんな人でも不得意にすることはあるものです。無くて七癖でなく、不得手なものがあってこそ、人間でしょう。そこをなにも隠すこともこれみよがしに見せることもありませんが、不得手なことをみずから早く理解して、それとどうつきあうかは知っておくことがいいのでしょう。
あるタイプの実験が下手というのは、自ら分かっていたら、解決策はいくらでもあるでしょう。一回だけの実験なら、晩飯をおごるくらいで誰かにやってもらうか手伝ってもらうのも一つです。ボスにお願いして、ラボの誰かにその部分を担当してもらうのもいいでしょう。下手というのは不器用という場合と、心理的にもう駄目、というのがありそうなのですが、後者は心理的問題を克服すれば案外あっさり出来るようになってしまうものです。
不得手なことに気がつかない人が、ラボの経営者から見ると一番困るのですね。いつまでも停滞しては困るのに、この実験は難しいのだからしかたない、といって何度も失敗していると、研究を推進したい立場からは一番ありがたくないのです。早く気がついてほしいものです。気がつきさえすれば改善されるものです。
人付き合いが不得手な人もいます。単に恥ずかしがり屋なのならいいのですが、ようするに誰とつきあっても意味のあるつきあいができない。研究を進める上で、沢山のひとたちと終生関わっていくべきなのに、人間音痴というか相手がどういう人なのかまったくわからないので、研究面でのプラスが生まれてこない。赤面症とか対人恐怖症とか名前がすごいのがありますが、ようするに心理的な壁をなんらかの方法で破りさせすれば、ずっとましになる人達もたくさんいます。
語学が不得手な人がいます。日本語が不得手でやたらにあれ、これを連発してコミュニケーションの基礎を持ってない人です。ニュアンスのある会話が出来ないので、他人との交渉事がだめで、そもそも講義など出来ません。
こういう人には、自分のしゃべることには原稿を書くように勧めるのが一番です。原稿を読んでも、やはり内容のある講演や講義をする方がしどろもどろより百倍もましでしょう。
英語がまったく弱い人がやはりいます。日本語よりは上手にはなりませんが、でも生涯学習的に努力すれば上手になるものです。一番困るのが上手と思いこんで巻き舌でしゃべる人がいますが、わたくしはさっぱりなにを言ってるのか分からないので、そっと隣の英米人に聞くと、怪訝な顔をして、あれ英語か?聞き返されたことがあります。これも本人が気がついて、巻き舌の度合いを低くすればだいぶましになるはずなのですが。

不得手な事の中で、たとえば論文を書けないとか、学会での口頭発表や研究セミナーが出来ないという人もいたりします。それは、やはり研究主宰者の道を目指さなければいっぺんに解決します。
どんなことにも解決策があるのですが、なかなかその解決策を身につけてる人は少ないものです。
わたくしの、いちばん不得手なことはなにかというと、雄弁は銀、沈黙は金、という格言を小学校の低学年でしってわかってるはずなのに一切実践できなかったことでした。しかし、さすがに60代に入ってから、すこし実践できるようになりました。もちろん意識して努力してです。だから、やはり不得手なことは、理解して改善しようとする生涯的な努力が大切なのでしょう。

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