selfishな研究者

梅雨にまだ入ってないのでしょうね、いい天気です。おかげさまで一日中働くはめになりました。この時期雑草取りがたいへんです。さいきん植えた芝生の雑草とりもありますがなにしろありとあらゆる場所に雑草が生えているので、その除去で一日はすぐたちました。去年取得した、周辺の原野状況の土地の雑草とりも刈り払い機でやりました。
いま収穫できるのはいちご、そらまめ、きぬさや、たまねぎ、などですが、きのう今日と大量のらっきょうとエシャロットを収穫しました。二年ぶりの収穫です。
らっきょうは大量なので、娘に泥付きで送ることにしました。娘はわらってましたが。
しかし、自分で作って、自分でたべるとらっきょうはたいへんおいしい。ニンニクも今回収穫しましたが、わたくしはやはりこのらっきょうの刺激的なあじがたまらないかんじです。エシャロットはスープに入れてみるとこれもおいしいものです。やはりわたくしの神様は地面の中にいるかんじです。
世の中では、村上氏の逮捕間近、秋田県での男児殺害事件での任意聴取、安部晋三氏とはいかなる人物か、そんな感じのマスコミのタイトルがあるようですが、雑草取りをしていればそういうはなしはすべて浮き世のできごとのように感じてしまいます。無念無想というか、精神修養に雑草取りは最高にいいとおもいました。
今日は10時からサッカーマルタ戦ですが、ともあれリアルタイムで見られれば満足です。ドイツの汚い反則によって日本側はそうとうな傷が出ているようですが、おかげで控えの実力を見るいい機会になるでしょう。

今日のタイトルはセルフィッシュな研究者というものですが、研究者は世間的にいえばかなりひどくセルフィッシュな人間のあつまりのように感じます。
例えば看護婦さんとわたくしの職種の一番のちがいは利他的な人生を送る看護婦さんにくらべて研究者は多くが、わたくしが、ぼくが、おれがタイプです。残念ながら、研究者はあまり高尚な人種ではありません。どうしてこうセルフィッシュな人間になってしまうのかその理由はわかりませんが、研究というものが自己表現の極致のようなものなのでしかたないのかのもしれません。
セルフィッシュというものの意味を辞書で調べると、自分の利益になるようなことしかしない行動とか人物とあります。研究者がそれほど他人に影響をあたえないで研究に邁進しているのなら、たとえその人物がかなりセルフィッシュでもあまり問題は無いでしょう。しかし、もしもその研究者が地位が高くなると、セルフィッシュな性質はかなりひどく周りにネガティブな影響を及ぼし得ます。
ヒットラーのような人物はドイツ社会では珍しくなかったのかもしれませんが、そのような人物が全権的な権力を握ったら大変な事になるという意味で、セルフィッシュな人間は研究社会でありふれていてもその人物が組織の長になった研究組織がどうなるのか。とても大切な問題だとおもいます。
わたくしは最近複数回研究者が別な研究者に対して彼はセルフィッシュだと批判したのを聞いて割合ショックを受けました。
セルフィッシュという言葉はなかなかきついのでそうありふれて聞けるわけではありません。もちろん言われた人物はそれなりのそこそこの人達です。
なるほどそういうラベルでそのような人物の行動を見れば理解は出来るがそれは本当なのか。もしもそうならわれわれはどう対応するのか。組織の長が公的なエネルギーでなく、私的というか私欲のエネルギーで行動したらどうなるのか、それに対抗する方法はいかなるものがあるか。
やはりセルフィッシュな研究者は現場まではアクセプタブルだけれども、それ以上ではno thank youかなと思う次第です。

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