金の卵?、でも実感がない

早朝、気になってポーランド対エクアドル戦を一部見ました、運良くエクアドルが点を入れるところを二度とも見ましたので、またすこし寝ました。この2チームなら、日本は勝てそうな気がしましたが、気のせいでしょうか。

きのう、届いたレビューの対応をどうするべきかおりおりに考えても一挙に解決する名案があるわけでもないので、みなさんの意見を待っていました。最初に来たのが、在ドイツのT君からでなかなか元気だし、健全な感性のもと対応を考えてくれて頼もしい。ついでF君から来ました。当時者なのと、もうこの仕事はある程度まとまってからの、ひきずられかたが例外的に長いので、冷静ではあるものの疲れがにじむ対応策を提示してました。ついでいまこのブログを書こうとおもってメールチェックしたら、北海道からOさんのコメント、なかなか前向きなおかつ秀逸なものでした。あと二人、コメントがあってもいいはずの人達がいるのですが、まだありません。かれらは非常に忙しいので、もうあまり期待出来ないでしょう。そこで、わたくしも考えを深めねばなりません。でも、一挙に答えを出すのは無理みたいで、部分的に相談しつつ、とりあえずの対応をしてみましょうか。

奈良女の講義のあとで、学生さんとの雑談の中で、あなたがた女性研究者を目指せば、金の卵ですよ、と言ってから、いそいで、でも実感はなかなか出てこないとおもいますけれども、と付け加えました。

こんな事をいったのも、いま学術会議の連携会員を決める作業に入ってるのですが、女性が何%とか枠が言われているのです。20%最低あるべきなのに、わずかに5%しかないとか、そういうふうにいわれたら、もっとも進取的組織であるべきなので、まずいのですね。まだまだ大学や研究所では女性枠20%などとは叫ばれていませんが、もうすぐそのことが真面目に論議されるでしょう。

わたくしなんかも、大学を出る頃には周囲から、生物化学を学ぶものは金の卵だと、言われたものです。ほんとのところ、実感はまったくありませんでした。でもあとから振り返ってみれば、当時学んだ仲間や周辺の人達の大半はこの分野で、教授や主任研究員の職を占めいい思いをしていると言わざるをえません。時代の発展の方向に乗っていたのでしょう。
どこでどうなったのか、だれからも金のひよこ、金のにわとりなどと言われたことはありませんが、時代の流れでふつうにやっていれば、われわれの世代はただそこにいたというだけで(ちょっとへりくだりがすぎるかもしれませんが)、生命科学の発展のどこかで、生活をすることができたわけです。生物学など決してめしの種にならないと過去の経験にそって、言われたのと大違い、やはり金の卵、という表現が正しかったのでしょう。

そこで女性研究者です。諸外国、特に米国から見れば、日本の女性研究者(研究者に限らないのですが)の占める割合は低すぎるとこれからもずっと批判されていくことは間違いありません。女性の社会進出は趨勢として、これから格段に高まるでしょう。いまから20年、もしかしたら30年たてば、いったい大学で20%の女性研究者がいないなど、どうして放置されていたのか、不思議に思うときがくるでしょう。

ですから、女性で研究を志す人達は、まちがいなく金の卵なのですがでもたぶん本人達にはそのような実感はぜんぜん無くて、しかし、いまの女性の大学生がわたくしくらいの年齢になれば、やはりそうだったのだな、とおもわれるでしょう。

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