学会との距離

昨日の夕方に韓国のバイオテク会社の方がお二人おいでになり、製品について詳しい説明を受けました。また、分裂酵母のプロジェクトをこの会社はかなり深くコミットしてやっているので、現状について聞いたりしました。そのあとで、高句麗という国のことについて、知らないことを教わりました。

アクセプトはされたものの、一部短縮せなばならぬ論文の原稿も共著者の迅速の努力によって出来たようでなるべく早く見る必要があります。

きょうは国際会館のほうにでかけて、分子生物学会の評議員会に出席します。学会としての懸案事項があるので、出席して評議員の責務を果たす必要があるでしょう。わたくしも昨年定年で大学の正規な職は辞めたので、学会とも距離をおいてなるべくならお役ごめんになりたいのですが、雑誌の編集長をひきうけたこともあり、そうも言ってられない立場のようです。しかしなるべく早く学会とは個人としては参加しても、組織にははいらないようにしたいものです。

それとは違って、若い研究者に招かれるような機会があればなるべく出かけるようにしたいと思っています。今夏は、若い生化学のひとたちの会や、バイオインフォーマティックスの若い人達の会に呼ばれたので、こういうのはせっせと出ていって、若い人達が何をかんがえているのか知る努力をしたいと思っています。学生との接触が京大ではまったくなくなったので、一種のそれへの補償的な効果がわたくしの内面ではあるような気がします。
そういえば、このあいだのZurichやStanfordでの講演も若手のかたたちに呼ばれていたのでした。余生は、若者に好かれるというか呼ばれるような研究者でありたいなとおもっています。
自慢話にならないような過去の話をするのはなかなか難しい、そういえばACさんの講演はまったくそう感じさせないやりかただったなと、思い出しました。どうやればそうなるのか、思い起こして参考にしようと思いました。

ところで、日本のサッカー、ジーコがかわいそうという、やはりというか予想されたコメントがイタリア紙あたりに出ているようです。こんな選手では、教えがいもないし、かわいそうという趣旨でしょう。余計なお節介ですが、でもそういわれてもしかたないような点取りの貧しさ、ですか。でもこれ柳沢、高原を責めてもしかたないので、国民的課題とうけとめるべきなのでしょう。ずるくてすばしっこいというか、機転がきいて意表をつく行動をするとか、そういうのが美点である、と誉めるのがいいのでしょうね。研究者の世界でもそういうのは美点なのですが、なかなかいないですね。
どうも組織に献身的に奉仕する姿が美しいと思われがちなこの国の姿を反省するいい機会なのでしょうか。

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